眼精が飛び交っている、ただそれだけのこと

だから俺達の仕事はまだ終わっていないということだ。目を閉じて生きてきた、それは強ち間違いじゃない。われわれの精神は、胃に、脳に折り重なったアンタイドジッタースペース、それだけは間違いない。腕にも折り重なっている。精神が眼精に支配されているのは間違いない。眼精が精神を拘束している場合もあるだろう。つまりは多々の眼精がその人の精神。眼精の権利は交錯しているのではないか。なぜならばわれわれは一つのタイムスペースで繋がってると一般的にも認識されているからだ。現実は個々のタイムスペースが無数にある。胃が弱くなった。いや、もともと強くないのかもしれない。つまり俺の胃のアンタイドジッタースペースは小さい。これは眼精とも相関があるかもしれない。強い眼精と強い胃酸。相関して巨大化したものかもしれない。胃を手で切っている。無視し得ないし、否定できない。この富士という土地もそのためのものかもしれない。なんちゃって内容物を手で切っているなんて。つまりは私は眼精を傷つけてない。苺かもしれない、私の主食。回し蹴りで消化しているかもしれない。盛り上がりたい、知的生命体にできるのはここまでと言っておろうが(!!)しかし、眼精はその活動をやめない。それは、頭の上半分の。従って下の人達を見ない。まるで頭の上のトーラスにいるように。そう、眼精にできるのはトーラスまで。なぜならば我々は脳だけ、脳ただ一つの臓器だけの生き物ではないからだ。