なんで自分より弱い奴の言う事聞かなきゃいけないんだ。winner take all.個人の尊厳と両性の本質的平等を旨とする。
誰もが理不尽に叩き潰された真実を持つ。絶望に値する。この世は諦めるには十分なほど不断の努力によって保持しなければならない。
深いところまで一緒に落ちよう。楽になった魂が漂う。
大きなエネルギーを使えば楽になるとは限らない。ダイソン球を使ったらそれをメンテナンスしなければならない。新しいエネルギーに好むと好まざるに関わらずコストは取られるだろう。生まれてくる魂は否応もなくそれを引き継ぐ。諦めるには十分なほど大変なメンテナンスを。
努力を続けるのと、楽になって漂うのと、どっちが楽なのか。どちらを選択して安全と生存を保持しようと決意したのか。
技術もまたわれわれは受け継いだ。このインターネットも。努力によって受け継げる平等は等しいほど。過去の享楽と休息は嘘のようだ。
「殴っていい?」ニュアンスとアクセントで恰も当たり前のように聞こえるように言って楽しい気分になる。そんな矛盾があればいいと思う。弁識のないことを言ってわちゃわちゃとしてしまえば楽なんだろう。暴力団の定理のように。落伍者を蝕みながら生き存える。恰も共通の絆のように。人間に関する不合理が罷り通ればボロ儲けだ。この意味で人間は地球よりもコンクリートよりも固いのかもしれない。
人じゃないものが休息を与えてくれるか。この地球はどうだろう。ダイソン球は休息を与えてくれるか。過剰なメンテナンスを齎すものは暴力なのではないか。われわれは人員も足りない。全ての人が知識を享受できるインターネットによってもわれわれの能力が等しくなったようには感じない。ただ最後の一人まで取り残されないようにはなっただろう。
休息はやはり人々の平和を実現することにある。好むと好まざるに関わらずそこから自ら脱出することはできない。いかなる形であれその責任を負わされる。毎日の日常にパソコンをカタカタと鳴らして事務作業をこなしていけば平和が実現されるか、といえばそうではない。誰かが根本的な間違いに気付かずに只管作業をこなしているのであれば、それはただ機械の一部になって身を守りつつ姿を消しているだけにすぎない。
なくすべきはやはり理不尽に叩き潰された真実だろう。やっぱり面白くはないのだから。弱いものいじめはしない。だからといって弱みに漬け込まない、これだろう。放っておくしかない。漬け込まれなかったからといって漬け込むのは過去の恨みの蓄積でしかない。
漬け込み合いが神経にまで達しているのが、この地球と一体となっているものだから。アタマまで。脳の片隅まで。そして地底まで。
それの比率が正しいのが果たしてダイソン球か?漬け込み合いが神経に達するのまでが早いか、多いか。希望が勝るのか。希望が勝るのであればわれわれは生きていける。