物自体が併存し得ない物権変動を併せ持つ

量子力学に近い。だから本来人の併存し得ない物権変動を内部留保していることに憤りを感じているのに、それが解消されたとたん、あるいは解消されるような十分な力を身に付けたとたん、周りから拮抗するような力が失われると(差別が解消されると)、こぞって人がいなくなると、つまらなく感じる。その正体自体が併存し得ない物権変動を体内に留保した人間であるが故、動かぬ物しかなくなるからである。しかし物自体が観察されるまでは併存し得ない物権変動を内部留保している(これは観察の本質であるが)ため、結合を解かれた石が石になっただけともいえる。もともと石に期待していたのは私の方だ。観察の仕方として非常に弱い力で短時間の観察をすることには意味があるのだ。つまり量子力学をこねくり回してやれあれが便利だこれが便利だと夢中になって遊んで必要以上のエネルギーを要して十分な成果が得られたり得られなかったりした挙句、観察するだけであればデータから推測できるものであれば必要ないし、観察するとしても最小の侵害に留めておいたほうが本質に近い原型が見られることを知るまでの期間を要したのだ。つまり刑事訴訟法に於いても被疑者の全体像が更正に至るまで十分見通しの観察ができたなら、それ以上のテンションは民事(われわれの基本である私的自治)に戻って持ち戻しの最小限の訴訟手続き乃至は訴訟行為に留めておくべきなのだ。いやしくも強い規定を用いて害悪と害悪で相殺しようと考えるべきではない。そう思えば無理やり用いられない石さえもかわいいではないか。無味乾燥な乾いた石も寝顔に見えるではないか。