不完全性定理とグロタンディーク宇宙

ゲーデルの定理によると、

第1不完全性定理

自然数論を含む帰納的公理化可能な理論が、ω無矛盾であれば、証明も反証もできない命題が存在する。

第2不完全性定理

自然数論を含む帰納的公理化可能な理論が、無矛盾であれば、自身の無矛盾性を証明できない。

「私はいつもウソをつく」と言えば、それ自体で真実なのかウソなのかはわからない。

つまりはそれを囲った世界が必要なわけだ。

それを考えると一方で公理として、

すべての集合 x に対して、x ∈U のようなグロタンディーク宇宙 U が存在する。

がある。ゲーデルの定理は、その言葉から実に哲学的な世界観が支配してしまうような気配がするが、こちらのグロタンディーク宇宙の公理と組み合わせると、メタ言語において再帰的関数だなんだと考えを巡らせて完成させられた定理も、神の巡り合わせのように、目で見える形ですっぽりはまっていくような、何かひとつの均衡が生まれるような感覚がする。コンピュータの分野でグロタンディーク宇宙がとても役に立っているという話はあまり聞かないが、グロタンディーク宇宙を検索すれば必ずあるということなのだから、ここに繋がりはきっとあるはずだ。

声と言葉

嘘ばっかの声で虫が鳴いてる。嘘ばっかの声で木々が揺れてる。そう思った瞬間本当の声が聞きたいと思った。だけど言葉に頼った。確かなのはどっち。どちらかに耳をすませばそれはあほになる。それはばかになる。真実の言葉は揺れないだろう。だけど僕は生きてるから。揺れる揺れる。きっと旅行に行きたいと思うのも。家族が愛しいと思えるのも。共鳴が世界に響き渡れば。って思ってるからなんだろう。はじめて正面からそれを見た。だけど自分が中心になるのが少し怖かったんだ。

左後ろにどいてよかった

かつて俺が使ってた右上を子供たちが使ってる。感情を爆発させながら。発狂してるかと思うくらいに。左後ろにどいてよかった。ただよう君をみてる。この世界をさまよって。いつか答えを見つけていく。それにはどくだけでよかったんだ。僕は今不器用かもしれないけど。それでもやっていける。左後ろにどいてよかった。それでいいじゃないか。今さら空気の奪い合いなんて。五感と圧力の大きさなんて。好きにしてもらえばいいじゃないか。ただその心の糸はみたいな。変な見方じゃなくて。声をききたい。それは信用されないと出ないんじゃないかな。まとまってないのは俺の心?それとも飛んできて入り込んだ誰かのとまどい?心をそろえる過程?人はどうしょうもないいっぺんにどっとおしよせた困難にも。まとめきれないで不満だけが前に出ても。まずは心で。一つ一つ紐解いて。回していける。だから。左後ろにどいてよかった。

左後ろからきたやわらかい手にかくされた小さな針

なにも言えないや。なにも教えてあげられなくてごめん。弱いやつの肩も持ってあげられなくて。生きるってねえなんだい?生きるのがうまくなるために生きることかい?そしてそれを楽しいと思う感覚をもつことかい?東京でもせいせいと息を吸って。田舎でもなにも変わらない。あいかわらずせいせいと息を吸ってる。そんな強いやつになれたらなあ。大学なんてどこでもいいんだろう。東京大学でも。静岡大学でも。せいせいと息を吸って。どんなスキマにももぐり込む。左後ろを見ずに。左後ろに針を通す。一瞬で。どんなに小さな針でも。僕らは戦っている。左後ろからきた小さな針を。やわらかい手にかくされた小さな針を。僕はすんなり体を動かさずにかわすんだ。

右上のだんご

もうねようぜ。こんな組織続けたって。いびつな感情がだんごになるだけ。誰かの感情を勘ぐって。結局一日が過ぎた。だんごの中。右へ行ったり左へ行ったり。つまりは誰かの感情の上を走ってた。だんごじゃないかもしれないけど。少なくとも右上の世界。それをだんごって言うのかもしれないけど。ブッ飛ばないためのアンカーを作ってた。俺は何がしたいんだっけ。息子よ。世界ってやつはさ。息子よ?息子よか。ブッ飛ばないためのアンカーを作ってたか。まずは世界を見よう。ただそれだけでいいのかもしれない。

12,13

なぜだろう。息子の横にいてもかわいかった頃の顔だけが浮かぶ。雪を見上げた表情。魔法のおかしをもらったときの表情。最近も遊んでいるはずなのに。二人でいてもどこかぎこちないんだ。大人になるってこういうことかもしれないんだけど。さびしくてしかたない。さあ出かけよう。もう戻らない日々だと思うと泣けてくるんだ。君のにおいも。小さなズボンも。おばあちゃんだけが心にさわれた気がする。車道に飛び出したあのとき。僕には「当たりたい」って言って聞こえた気がしたんだ。赤の横断歩道を「行こう行こう」って。なんでなの?死にたいの?頭が重なの?ぼんやりと。幸せと。憂うつと。ママがここにいたらよかった。それができなくて。どうしようもないことが。僕には見えるから。シアになった感情。むすぶ様はどこにあんだ。君の手か。優しい源は。思い出す19の。

いちごごはん

理念だけがそびえ立つ市役所。本当の自分をどこに置いて来た?カラスがビルの上を旋回した。死ぬときってやっぱ苦しいのかい?カラスに聞いてみた。間違いない。帰って寝てる息子たち。でかくなったもんだな。かわいかった仕草を思い出しては口に出して確かめた。忘れそうだよ。でもまだ太陽の光が体の中に残ってるんだ。まだ走れるだろ?もう無理そうだよ。そう言って降りた自分を想像した。いつだって降りられるんだよな。そう確認したけど結局降りてこなかったあの人の姿を見て「なあ、あんたはどうやって生きてきたんだい?バカなのか?バカなんだな?」バカな言動とバカな長い長い人生だけが見えた。もっといいとこあんのにさ。もう目もやれないや。それでもやり続けたらおまけに市長にでもなれんのかい。議員に当選して議長、市長とさ。議長あんたが市長になったほうがよっぽどいいんじゃないのかい?上手な発言をしたらそう言う人も増えたな。これ理想映像?とんでもないよ。なりたくもない。金ならとっくに欲しくない。で、なんのためだったっけ?差別解消のためか?全員が溺れてる水泳大会。いちごごはんの水着。誰かに言いたくなって言えなかったから電車を見送った。まだ心はうまく操れないみたいね。だから明日は姿勢を正すよ。正さなくても言いたいことうまく言えるようにさ。ただそれだけ。