一理ある

誰かが「私が右腕をどこかにぶつけたら世界中で多くの人たちが死んでしまう」という妄想を抱いていたとする。精神医学的には妄想だとする。だけど僕には「一理ある」と思う。逆に誰かがバスケの試合でシュートを外したからってそれがなんだってゆうんだろう。プロ野球よりも甲子園が好きだと言ったら頭がおかしいんだろうか。技術的にはプロの方が上なんだろう。息子が幼い頃、鳥取砂丘に行こうとして結局バスがなくなって仕方なく二人でなんでもない浜辺で遊んだ。それが今涙がこみ上げてくるほど切なく愛おしい思い出だったとしても、あの不思議な情景は戻ってこない。どんなガラクタでも誰かにとっては宝物かもしれない。数学は普遍的な価値を生み出す。数式には一通りの解釈しかない。だからこそ数学が人間を支配した今、私たちは誰かの妄想を妄想だと切って捨ててしまうには機械的になり過ぎてしまうのではないだろうか。そこにはもっと繊細な真に人間的な大切な何かがあるのではないだろうか。あの人をダメなヤツだというようにあなたは機械的でありたいのか。こんな迷いでさえ認知行動学的には数学的な論理があるんだろう。