『あたりまえのことを考えるのはダルい』ということを考察する数学

あたりまえのことを考えるのはダルい。これは誰しも考えることであろう。あたりまえのことを考えるのはダルいので『笑う』という作業でそれを吹き飛ばすことをする。つまり理解していることを他人に言われるのは[脳が受け付けない]のだ。つまりあたりまえのことを人にはなすのは『言うエネルギー』に比べて『受け付けるエネルギー』が非常に高いといえる。反射的に吹き飛ばすほどに。たとえばa,b∈Z⇒a-b∈Z。これは『a,bが整数ならばa引くbも整数だ』と言っている。このようなことはあたりまえのことであるが、あらためて目の前で言われると数学に造詣のない人であれば「なにを当たり前のことを言ってるんだ」と考えることをやめてしまうだろう。つまりはだ、あたりまえのことを考えるのはダルいは、極度に情報が煩雑化した現代にあって主要な考察の対象→物理である、といえる。この物理を解することは、笑うということのメカニズムを解明するとともに、個人の思考空間の権利的保全性が保障される現代において、人とのつながりを考える上で究極的な重要性をもつ(インフラ)ストラクチャーとなりうる。