呼吸と波

自分は小さい気がした。小さいのは嫌な気がした。小さいのは怖いと思った。何も持たないで生まれたんだ。全てを失うなんて怖くないじゃないか。だけど命は壁を作った。だんだん素通りできるようになった壁と。全然素通りできなくなった壁だ。甘えとか。量子力学的な法則は本当に人間にもある気がしたんだ。弦論的な機構も。シーソー機構とか。だから夢中で探した。ほらやっぱりねってそこで思いたかった。その方が人類全てが生きやすくなるとわかってたからだ。我々の普遍性は生きること。意思があること。そうだろ。意思があるところに道は通ずるんだ。どんな自然な壁も壊してきた。何もなくなったら言葉ぐらい自由に吐き出したいもんだな。我々はそれでも思い合ってることを信じたい。呼吸のように。君を吸って。吐き出す。それってみにくいことじゃないだろう。強くなくたっていい。お金がなくたっていい。我々は呼吸を庇う。最後の瞬間まで。そしたら自然に忘れて。「最後まで庇った」って記憶が「肉体」を抽象化していく。その抽象あるいは抽象化の流れ、目に見えるような抽象的な流れを守りたくて。我々はまた壁を作っていく。守りたいのは優しい記憶。そこにはもう肉体はなくて。記憶だけがある。あるいは記憶を置き換えたような象徴。ミニマム化された記号。0。O2みたいだって。それって俺の記憶だろって。なにかとすれ違って繋がって微笑んで。それがほんとうに繋がってることに確証が持てるまで音楽は鳴り止まなかった。