誰もが昔草。当たり前だけど。

誰もが昔草だった。それもそう遠い昔ではない。肉も魚も昔は草だったのだ。もちろん草を直接食べていることもある。宇宙飛行士は宇宙空間で一様に食欲をなくすという。それは殺風景な景色が生命感を奪うからだろうと思う。いくら栄養を考えても生命感がないなあと思えば生命感がなくなっていくものだ。それは宇宙ミッションをこなす者にとって一番の障害であろう。宇宙に憧れを抱くものにとってもだ。こんなケンカばかりの太陽系からはオサラバしたい。だが系外に拡がっているのはやる気をなくすには事欠かないほどの困難だ。だが絶望的に絶望してしまってばかりいてはやっぱり地球で騒音だの目障りだの言って希望を抱いては失望して愛を抱いては裏切られしながら生きていかなければならない。どのみち生きることは目の前にあって壁を作ったり風に飛ばされたりしながらやっていくしかない。ところで系外に出るにしてもそこではやはり生命が循環しなければ生命ではあり得ないだろう。壁のステーションに囲まれていても様々な健康障害が一年二年で起こる。草の生えた宇宙ボウルを宇宙に放っぽり出して勝手に自生してくれる程度でなくてはとても人間は生きていけない。クソが。と言いたくなるがクソも出ないようでは循環など甚だ無理な話だ。第一セレンはあるのか。クエン酸回路が大きな系で成り立っているか。我々が生物で体内で起こってるようなことが星全体で成り立っていなければならないのだ。電子伝達系にしてもそうだ。我々の生体も星の生態も考えてみれば実体のないものだ。実体がないといえばそんなことはないが切り離してこの系だけで生物が存在しているとは言えない。それを生物とは言わない。だから我々は爆発的に膨張していくダイナミクスの中で生きている。解脱といえば全部が解脱だと言える。トイレも仕事も。輪廻といえば全部輪廻だ。ピンポイントで車輪の輪っかのようなものを思い浮かべてはそれがまた車輪の輪っかだったりする。私たちがイメージしたその場面がだ。まあそんなこんなで私たちは超ケーラー多様体の中にいると言えないことは全くない。そんなわけだから田舎のあるいは都会のサラリーマンが制服で高校生を偉いだの偉くないだの言っているのはほんとに良くない。妻より子供がかわいい。これもよくないのではないか。なんだかんだで子供の前でおまえはかわいいと妻に言わないのは健康に良くないのではないか。窒息しかけて鬼滅の刃なみの水の呼吸あるいは火の呼吸なんかを使わなかったら息ができなくなってしまうのではないだろうか。目を向ける外が性しかないのは悲しい。男と女の友情はあります。俺は男だけど友情だと思うからノータッチなのです。私に娘はいないが出て行くばかりが娘でキアータイムアイゼンシュタイニオイドとか言えるのがパチンコ屋だけだとしたらお父さんは苦しいよ。確かにお父さんは娘が生まれたら面食らうんだろう。目に入れたくもないほどかわいい。だがお父さんはスカート履くわけにはいかない。だからお父さんはスカート一つ揺れるだけで心が吹っ飛ばされてしまうのだ。いいじゃん。今日は疲れたよ。誰もが昔草。当たり前だけど。系外では逆さに草が生えてるんだろうか。

ところで新しいファッションを考えました。スカートにベルトを腰に巻くところをバックルを内側に仕舞って外側へ下に垂らすスタイルです。ベルトスレッドといいます。