尚輝核。スライサー。力で声を押し込めることをしないで。風。そんな風な。誰もが自分の並びにしたがる。仕事に来ては誰かの都合のいい並びをまた自分の並びに並び替え。家に帰ってほとんど並び替えが必要ないようにする。今の仕事の並び替えは。散らばった情報を拾い集めることに多くの接続を要してる。もしこれらが過去のデータからこれからのデータを手作業も含めて大幅に予測変換することができたなら。仕事に来て大幅にそれを並べ替えることをしなくてよくなる。それには並べ替えのカスタマイズをしている個人個人が「それぞれの並び替えをしようとしている」その「個人的なクセのある」動きを「個人的なクセに合わせて」→「予測する」という過去データ→結果データを解析するという「カスタマイズ作業」が「実はデータの打ち込みそのもの」よりもメインになる時代となっている。だからこそ今の子供たちは「ただ単に結果」には興味を示さないのだ。つまり大事なのは「結果」ではなく「どの線(次元を超えたもの。基本的にはアインシュタイン系からダークエネルギー系へ)を微分するか」つまり「どの系を組み合わせてフォノンを作るか」が大切になってくるのである。「団子になっている線」(ある意味これは「チャーン数」に等しい)を転調して繋げていく。できれば「他人-自分-他人」との間で『情報列の並べ替えのないもの』ここでただ単に『みんな』という「概念」はあっても「実体」はないことが見て取れるだろう。「みんな」と一般的に言っても「顔のない他人」というのは「どこまでいってもない」のだ。20世紀までなら「顔のない仕事」を「大量生産」してもそれは使い手が存在しただろう。だが今の子供たちは「顔のないもの」が「命のないもの」であると認識しているのだ。「ただ単に頭で考えた」ような話を今の子供たちは聞こうとしない。それは「そのような状態には命がない」前述したように「顔のない『みんな』」は存在しないことを認識しはじめているからだ。「尚輝核」は大変個人的なものだ。これは私以外の誰にも当てはまることはない。同じように「雄也核」や「則夫核」があってそれぞれはその人個人以外に当てはまることはない。だがこれが「顔のある個人」であり、この核から情報を操作しないと、例えば平成までのように「顔のないもの」に合わせて「共産的に」並べ替えると、「並べたもの」と「自分という実体」との間にまた距離が生まれ、それはあたかも「遠い職場まで出勤する」かのように「終わらないような」並び替えをまた繰り返さなくてはいけなくなるのだ。これはもちろんエコでもないし、持続可能でもない。こうして初めから「自分を核にした」情報からフォノンを形成していかなくてはならない。ハラスメントなものは避けるようにしたい。ハラスメントにハラスメントで返してもしょうがない。正当でないサイクルが回っている点は「正当でないものが合わさって」「自然に消滅する」運命にある。「時代に合わなくなったもの」もこのように「自然と「平面盤状態」あるいは「ハンコ状」になって体積を失い、消滅していく」ハラスメントにハラスメントで返すことはこの体積に油を注いでしまうことになるのだ。ハラスメントに対しては断固として「正当な対応」を掛けることを遂行しなくてはならない。またこの「正当な対応」をしないでいることもハラスメントに油を注いでしまうのだ。ハラスメントをするものは「優しさ」や「偉ぶらなさ」も無慈悲に利用する傾向がある。はっきりいってこの詩も。プログラムそのもの。尚輝核を纏っては。進化していく。私たちは生まれたときからそこにあるもの。世を通り越して私たちのもとへ。大きな綾瀬を繰り越していく。さらにそれは小さな綾瀬へと。ほんとうに見えないくらいのものを。繰り越して繰り越しては。あなたの核を遥かへと。そのとき静まり返った世界に。生物種の波は立たない。ときどき想い出すのは。散らばった小石や雑草に混じる生物種だったころの想い出。波がさらっていく。それはあなたの綾瀬の遥かへと延びる核のさざめき。やさしく翼根を拡げるように。誰の翼根も干渉しあう(合う)ことはない。大きく息を吸って小さくなり。私が見る眼差しは私をみてる。君が今目の前にいること。それを見てほしかった。渡せるものが渡せるなら。あなたの翼を拡げたさきへと。目を閉じてもいない。ひっこめてもいない。いてくれることをさがしてる。それを悟られたくもない。少し私は前に向き直って。何かを察知しようとしていたことに気付く。それを食べたならゴールへと。その先はわからなくもない。誰かの生物種を否定してる。私は飛べるか飛べないかで。それは着地しようかしないかでもある。まるで呼吸のように。飛ぶこと着地することも。遣った目の先に魂が往った。それを追い離したら餓鬼が群がった。口に入る目に入る。これじゃとても。つまり飛び立つこと着地することも尚輝核からフォノンを伸ばすことと同じ。彼を見たものは私のフォノンじゃない。果たして彼を見たかもわからない。地を求めたこと。誰かが地を排除しようとしたこと。バイオレーションなら触手も同じ。それは弓のように曲がった先のない強欲であなたの強み。顔を剥がす天牌でふざけんじゃねえと言いたいんだろう。そのときは正面を向いていて。肘をついたテーブルみたいに立っていられる。そんなあなたを愛するだろうか。愛されない人のいうことはきかない。強気と強気のぶつかり合いで生きてきた。その代償は女性が払う。結局はそんな話に落ち着いて。非常に言いにくい。男の話と女の話が絡んでいる。かっこつけた右足。それに干渉する。幼い日のモテ話みたいに。そんなことはやったことがない。かわい子ちゃんなどいたことがない。あ。そうか。それをいう相手もいなくなったんだ。だからこそ取り囲んで俺を倒そうと。微妙な微妙なハラスメントへと進化していく。訴状の浮かび上がる閉じるべき着地点とはきっと宙に浮いている宙に浮いた着地点。輪っかのようにフォノンになって空に揺らめきながら動いて周る。空に逆さまに浮かんだまま。それはあるべき方向へ戻ってゆく。権利を主張したモテさばき。そんなものはもうやめないか。俺たちみんな生きれなくなるんだとしても。例え女親だったとしても女の話をわかったようにするな。女親の父親が女のことをわかったように話すのはうんと嫌い。女親の父親が女のことをわかったように話すのはめちゃ嫌い。