意味のある言葉って何?「マッハ」は「速い」と思っているということ。

意味のある言葉って何?「マッハ」は「速い」と思っているということ。マッハ数Maは流体の相対速度をU、音速をaとすると、Ma=Uaで求められる。一方、音速はκ を気体の比熱比、R を気体定数、T を気体温度、M を気体の平均分子量とするとa=√κRT/Mと表される。つまり音速は相対的なものであって宇宙には方向などの要素も合わせて同じマッハ数は存在しない。温度Tがゼロなら分子は運動エネルギーを持たず音速は0ということになってしまう。そんな意味でマッハ数は∞にも0にもなり得る。その中で我々は憲法に代表されるように誰にでも当てはまる言葉を文に収めながら経験則や数学の定理などのようにこちらも多くのものに当てはまる言葉を宇宙の言葉として収めながら思考を発展させてきた。だが現実の話、同じ言葉を話したところで状況やましてや気分によって受け取った「モノ」が違うのだ。状況だけではなく「人」によってもあるマッハ数を受け取った反応のマッハ数は全く異なるだろう。唯一静止場で考えればある連続値から連続的にマッハ数を変化させていき、マッハ数を比較して同じ値となったところを「同じマッハ数」だとみなすこともできるが、それにしても方向自由度を持たない静止場でのマッハ数での話である。つまり何が言いたいかというと、(話は全く飛んでしまうが、)ある人は「地球を粉々にしたい」と考えているが、またある人は地球を粉々にしたいとは考えていないか、あるいは地球を粉々にしたいが、おまえのやり方だとこちらはスッキリしないので俺にやらせてほしい。つまりいつも地球は粉々になっているということだ。なにかおかしなことを言っているだろうか。我々はいろいろなものを共有しているつもりでいるが、果たして共有しているのは実体のある誰にとっても共通のものであるのだろうか。地球は唯一無二の代え難いものだと多くの人が感じているが、事実は「世界は一本の直線上にあり、その順番は代え難いと感じていること」を本人の直感でいつも好き勝手に並べ替えているのだ。これがマッハ数延いては音速の正体であるように感じる。