化学とくすりの余分な部分。くすりの余分な部分はほとんど人では?

化学とくすりの余分な部分。くすりの余分な部分はほとんど人では?開発をするために資金集めとして飴のように売り捌かれているそれと。命を足して引いて繋がってないのはただ金蔓として扱われているお年寄りと。無知識なまんま知っていることが優位と老害な。ケイタイのネットワークもほとんどはセキュリティーを維持するための開発費用で。大抵の人はただの金蔓としてコンテンツを貪っている家畜みたいだ。何を作り出したらいったい人は生きられるのか。それはただただ「品」であるようなものではなくなってきている気がするよ。問題は誰しもその「必要な品」を作れるだけの技量を持っていて、それによって人が争いあうことがなくなるようなすぐ後の情報過程とすぐ近くの成長過程なんだと思う。ただ言っちゃってすぐ後の情報過程に人はあまりにも飛びつくもんだから、その周辺や、やや上の方にある成長過程までもをへし折ってしまうところにあるんじゃないか。問題は。化学といって学生の頃はよく「電子の振る舞い」だと教わる。だからといってよく知らない人が想像するような単純な波動関数だけの量子力学でもって全部が解決するような電子の「足して2」と「引いて1」みたいな振る舞いだけではないのだ。つまりは「物質の階層」のようなものがあって、この場合は第一階層であるような量子力学が優位であり、またある場合には物質の形状による幾何学的な寄与や、マクロな集団としての流体あるいは粘性、アモルファスなどの物質特性の振る舞いが優位になるなど、ある計算はうまくいってある計算は破綻している。逆に言えば従来の理論が破綻している物質ほどいい物質なのだ。はっきり言って同じ一年生で大学に入って「あなたは物理学科であなたは化学科」というような同じスタートを切れるような横並びの学科ではないのだ。化学は。ここで冒頭で話したように新しい物質を作り出すことは金だの人の欲望にも直結していて非常に危険な学科であるのだ。下手に「センターオブサイエンス」だからといって飛び込むとパテントや経営といったハイエナたちに首も命も持っていかれてしまう。こういった諸々のことも含めて化学であるということをよく理解してほしい。