電気系統に量子力学のクッションを

単純に電気工学に量子力学のエッセンスを組み入れることによって、いまある電気系にクッションを加えることができる。電気工学者に量子力学の見識を備えている母数が増えればいい。そうすることによって世界全体の電気系統がフレキシブルなものになるし、奥が深いものになる。当然省エネといった効果も行き渡る。電気工学自体《味気ないもの》と認識されがちであるが、そんなことはない。電気工学を豊かにするのは他の誰でもない、まちの電気屋かもしれないし、まち工場の機械工かもしれない。これを考えれば誰でも世界を(電気工学を)豊かにするエッセンスを備えている。とくに電気を入力した際に起こる[過渡現象]には瞬間の[機械]の動き出しが強く関わっていて、分野的にはクロスオーバーしている。実際一番電力を消費しているのはこの過渡のタイミングであるし、これを改善することは我々の生活全体のフレキシブルさを増す。コンセント一つとっても改善の余地は豊かである。人はただ環境のために進めばいい。なにかあったときに駆けつける、そんなサービスがまちの電気屋の人と人との交流の豊かなところではあるが、即金にならなかったとしても、(コンセントの量子力学エッセンスが法整備によって義務付けされたとしても)地球人としての想いは豊かでありたいものだ。電子を海洋のようにブイで観測したらいったいどうなるのだろうか?潮流のようなものはみられるか?地球の体的な流動と文化的な流動とに二分されるような見方ができるんだろうか?ますます我々が地球の胴的な運動に基準をあわせたら電気でムリをいっているようなこともなくなるのか?われわれが流れる感性に身を任せているようにムリのあるクッションのない電気流動を惑星体的な流動へと組み替えていくことができたら。女の子が頭をつかっている人と人とのやり取りもよりソフトで体現を維持できるのではないか。まちの電気屋がこころ配りで成り立っている今、地球にやさしいハードウエアを作り替えていけばよりこころにも『流していい流動』を生むことができるのではないか。世界中の海にはアルゴフロートがあり、海洋のみならず陸や上空の平和が守られている。また、砂漠上のフロートも風化するようなものであれば環境にもやさしく地球が守られるのではないか。環境にもやさしいものであれば個人でセンシングを行ってもかまわないだろう。風化するものそのいくつかをつなげれば人工衛星を用いずとも地球ネットを作ることができる。人工衛星の外敵からのアタックの弱さを考えればこのようなセンシングも地域の底上げをするような構造となりうる。必ずしも衛星を活用しているからといって勝ち組ではない、経済的なバリエーションを生むこともできる。