量子論と人のこころの繋がっているところ。動的な面をとらえるのみで確定関係にない。全面に拡張可能。究極には個々の量子論がある。トポロジカルな部分でエネルギーが大幅に異なる。我々もトポロジカルな視界に制限されている。言葉も。我々のトポロジカルは保存されるべきもの。はじめて真のトレードをなしうる。自由になるまでは闇のトレードに今ある。多くが。それを行っているのが今の公務員である。コミュ障の言い訳に費やされる時間。が(今の)時間。
逃げない。人のこころを置き去りにして。少し俯き加減で歩いてる君を見た。ああ。こんなにもスカイ。青い空の下で。闇を抱えていると自覚する。ほとんどの仕事は人のこころ。空を見上げたら引っ張ってる生きられないほんとうのジレンマ。ああ。空を見上げるこころが無限に広がって。君をヘッドホンみたいにすっぽり包めばいい。そんな風に複利にも明るい未来があったなら。今やってることだって悪くない。ああ。まっててよ。今いくよ。浮かんでる自由が僕を呼んでるって君に伝えて。
量子力学をまったく使ったことがないし、役立てたことがない。あっ。まてよ。鉛筆の削れ具合計算したことあるかも。そうだ。応用を考えよう。こんなことが量子計算が応用できるとか。実際、我々の日常で人と接することでさえ、Enterを押すまえのパソコンのように何が起こっているかはわからない。Enterを押した瞬間、そこで相対論的な世界に変換されるのだ。つまり我々は話し掛けるまえ、全然別の世界にいたってことだ。実際そうじゃなきゃ量子論なんてただの物性であって「そこに人間がどんどん近づいているもの」とは違ってドラマチックな面白みがないじゃないか。最後は量子論でドンッ「我々の意識」みたいなことが証明できたらすごいぜ。2.99次元の世界みたいだって感覚はある。どうでしょうか。頭はいいけどいつまでも片付けができないみたいな。そんなとき私たちの意識はその行けない3次元に対してどんな値も取り得ているのではないだろうか。なんでも値段を下げたいんだけどそれが量子論とどう関係がある?省エネ→ハイテクなのではないか。雇用はどうなる?現状はぼったくりと悪徳弁護士で不幸な命を生み出してはうまい汁を啜ってる構造。公務員も何万円かの残業代に涎を垂らして喜んで家に帰って威張ってビールを飲んで「俺はやっている」って慰めてもらうんだろう。それやめさせないか?