「は」の構成

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これ以外にあるんだろうか?いままで満杯に張っていたものがベクトルを持って破裂するときに「は」といって全体のランクが下がるのだ。つまり組合についてもこれであるといえる。今まで手動でやっていたものなどが自動化するなどにより、「人の手を借りて」「注意力を要するものによって」支えられていたものが、全自動化するなどによって支えが要らなくなり、放射される。全体のランクを下げることが仕事であるといえる。誰だって緊張感を持って生活していたくはない。ある意味「人の繋がりがあったところに人の繋がりがなくなる」のだ。どんな形であっても「エラーが起こらない」あるいは「エラーの頻度が大差ない」。もちろんことエラーの頻度が大差ないものの2つは別のシステムであって、「いままで人の手を借りてやっていたもの」「新たに人の違うやり方の手によって成されるようになったもの」である。したがってこの2つは「同じ完成品のように見えるもの」であっても、それは「鳥の翼」と「虫の羽」ぐらい違うものなのだ。(前者は「手」であり、後者は背中から生えている。)結果が同じな為、この違いがよくわからないが、近年の「学歴」についてもこの違いは現れている気がする。従来の学歴は「積み上げてきたもの」であったが、近年の学歴に関しては「やんちゃにいじり回してきたものの結果」である。数式も「あまりよく理解はしていないが、適当に自分の感覚で自由に使ってみた」つまり必要なのは「先人が作ったものをやんちゃにいじり回せる」場であるように思われる。「やんちゃにいじり回してうまくいく確率を与える」それは「地球が絶滅しないこと」であろう。「残差」とは聞き慣れないものであるが、我々は「残差の世界」に生きているのである。そしてその残差は「根本的な違い」からきているのだ。可測であるとはどんなことだろうか?整数だけからなる金属の延べ棒の部分の重さは0であろう。それと同じように「どれだけそれっぽく見える」男と付き合ったってそれを見ることは食事であるといえる。まさにそれを食べているのであって「減らないものではない」のだ。