金属の生物学的見方

金属は生物なのであろうか?この問いに関しては「no」とゆうのが直感的に示されるところだ。「金属は生物ではない」とあらかたの人が感じている。むしろ金属とは我々の生体膜に穴を開ける有害なものだ。そう感じていて忍びない。金属は「強いものだ」と感じる。そして頭痛の種だと。鋭利な房であり、ひどい熱傷的反応を引き起こす。我々が金属だと感じている波動関数は極めて特殊なものであり、多くの界としての変化を汎様な反転楕円として様々な界面に符号変調を及ぼす。決定的に周囲の物質は「異質化」するのである。環境のテンショナーであり、広範な環境の背景であるといえる。金属は場である、ともいえる。変調された場である、ともいえる。むしろ場であることを考えると、金属はその実体よりもはるかに影響を及ぼす範囲が広い。1mgの金属に対し、影響は全身である、というように。ほとんど「われわれの背景である」といっても過言でないように。さて、この場であるが、融解している、あるいは溶けている溶媒(これも背景に2次的影響を及ぼす準背景)によってもまったく性質(あるいは範囲)の異なるデスペーストをする。空気に溶けている金属はわれわれはまだ性質を知らないだけかもしれない。だとしたら非常に広範囲にわれわれは影響を受けている。「金属」+「溶媒」で影響の違う色紙を選り分けている、ともいえる。それを介した流体であるなら、われわれの通りすがる気象塊の影響あるいは様相はいかなるものであろうか。重金属を生み出しているのはいうまでもなく数学によるゼータの伸長である。これらははたして『吸えない息』であるのか。ビニールのようにそれは延びて。人と人とはどうやってそれなしでつながっていくか。