波紋を最短距離で目的地まで行こうとすると、波紋の広がる方向に流されて、結局波紋の縁のある一点に到達するのではないだろうか?目的地に対して波紋の央心を越えて近づいているかもしれないし、はたまた遠ざかっているかもしれない。なぜこんなことを考えるかというと。ダークエネルギーに対して宇宙を旅しようと思ったときに何処に辿り着いてしまうかということもちょっと考えてみたからだ。例えば「とても声のデカイやつがいて」その声にどうしても吹っ飛ばされてしまうとしたら、どうやって目的地に辿り着くのが一番早いのかということだ。もちろんこの答えを探そうとしたら「声のヘリ」に沿って吹っ飛ばされながら、多少吹っ飛ばされない方向に自分の持てるエネルギーを兼ね合いながら進んでいくことになる。エネルギー的には声のヘリに当たらないようにしていけば、通常の距離を進んだのと同じで直接的にというなら波紋の影響によるロスは0だ。ポアンカレ上半平面に何が実益的な「そこらへんにでもあるような」例えを挙げるならこんなところだろうか。「声のデカイやつ」で溢れているこの世の中を「何事もなく」あるいは「適度に自分の尺度で」進んでいきたい、と思ったときにどういったルートもあるのかといった形だ。アインシュタイン計量とはどちらもリーマン計量であり自由な互換性も研究されていてブラックホールとは共形場アンタイドジッターを以って一意に接続されている。毎日美味しいもの食べる必要もないし、実際に火星に行って無茶な冒険を繰り広げるでもなく、まだ無理な冒険に乗り出すよりかは、このように思考実験にて火星まで行ってみて、毎日火星に行ってタフな旅をして帰ってきたのなら、温かく柔らかく迎えてくれる、どちらかというと出不精な彼女もありがたみが毎日味わえるのではないだろうか?