弱い力も分配される

ニュートリノを利用した弱い力も電気代のように分配されるべきものであるのではないだろうか。「弱い力代」といったような感じで。意識が飛ばせる。崩壊させられる。そういった自由をどういった形で距離二乗の力に変換させていくかは、時代の課題となっているのではないだろうか。見たところ崩壊させ方は逆戻りはできない。弱い力代がメインに据えられるようになったとき、どういった生活が世界にとって理想的であるのか。牧歌的な景色。暴力がどうやって生まれるか。弱い力が電磁力を集中させているのか。それとも距離を淡く重ね合わせていくのか。何が見えるようになった目であるのか。折れ線で進んでいくようだ。数々の傷を付けている。「すぐに辿り着ける」どこまで?折れ線でついた傷はなんであるのか。間違いなくあちらこちらへと引き裂いて。電磁力がメインではないようであろう?われわれが住んだ世界を形づくってきたそれは。洗脳といって電磁力を形づくれる。それによって形成された一つのプラットフォーム。われわれはいまの拡張上に世界を作れるのか。たとえば数式で。つまり弱い力は相対性理論上にあるのか。多少ないような気がしている。一瞬で塗り替えられる世界上にあるわけがない。つまりは相対性理論は弱い力によって「全体的な修正を」「いくらでも加えられる」のだ。太陽系の居住地を作ると言った。少しでもより良い環境としたか?いくらでもひとつの情報で変わりゆく未来。宇宙空間に浮かんでいる私を止める者などいるだろうか?一旦宇宙に飛び出してしまえば。そこまでの資機材を組めば。地球の軌道に留めておくことはできるだろう。つまりスイングバイで他の軌道に移ることも。紫外線の侵入は十分であるのか。薬の劣化は?大量に破壊されるべきものはなんなのか?関であるのか?環境変化の関であるのか?銅は変わったであろう。つまり1/2から「いつでも切断できる」と。キュービックにみられる顔で。ピクセル→「キュービック」となった。われわれは「まっすぐみるべき視線」を手に入れることはできるか。淡い宇宙に。誰かいれば。→「二人乗りの住空間」である。必要となるのは。テーブルがあって。