岩石型惑星

岩石型惑星。地球はイオやエンセラドゥスのように岩石型惑星であるが、地球解析が進み、元来、岩石型の飛び飛びの値であったそれぞれのプレートなどの粘性などの係数が、なめらかな曲線で結ばれるようになった。もともと生命の存在には、水の存在と同様に『岩石』の存在も必須と考えられてきた。つまり、『飛び飛びの値』というのは生命が誕生し、進化する上で〈必要なもの〉であったということだ。地球解析が進み、宇宙解析が進み、あらゆる環境が、ぶつぶつ切れた状況の『別々の情報』であったものが、互いの相関とともに滑らかな曲線で結ばれるようになった。-では、とびとびの値であった岩石型の情報や物質はもう存在しないのか?-そうではない。我々ひとりひとりの人間の存在がすでに飛び飛びの存在であるのだ。情報がなめらかになるにつれ、われわれ一人一人の存在が特別であるのだ、とわかってきたのかもしれない。環境の存在が飛び飛びであったから、われわれは敢えて『滑らか』であるように存在を合わせてきたのかもしれない。環境が滑らかであっても我々は岩石のように個性を際立たせることができるようになってきた。環境がなめらかになり、岩石の存在がわれわれ一人一人の方向にうつってきたのだ。我々の存続にとって、なにが重要であるのか。いま一度考えてみてもいい。岩石型惑星。その存続にとって。

宇宙そのものも岩石型で、宇宙際タイヒミュラー理論に象徴されるように、岩石型にゴツゴツと積み重なったものがあたかも連続で一つづきに見えているだけかもしれない。重ね合わさったものが連続に見えているだけで、当初予想されていたアインシュタインなメタリックも、大きさもバラバラなケーラーであるものが空間を埋め尽くしてそうであるようにみえているだけかもしれない。つまりはその相互作用も『見る』という行為も、それらの宇宙の『商』として表現されているのかもしれない。アインシュタインメトリックもその連続時空の因子や写像を与えるひとつの作用素やスキームであるだけかもしれない。