今日とシンチ。個性がインフラ。異なるエルゴード性。物に当たったときの吹っ飛び方が違うのに同じ価値観であるはずがない。時間相関関数で我々は違うルートを辿る。

今日とシンチ。煌めく団子みたいに塊るラングランズプログラム。生活の中に見えてる世界にループを感じるガロア体。そんな子供の私。正しく穴のないもんを育って教わってきたと思いたい。何か目標があって頑張ってるならそれは穴だ。何に向かって私の体(たい)は歩み始める。きっと大きな穴なんて初めからあったもの。親の親の世代から。体(たい)なんて立派なもんじゃなくてきっと適当な始まり。それが私の体(からだ)を形作っている。出会って煌めいて強くなれたつもりでいてもどこか私と背伸びで違うところに足場を置いている。重なりなんてないのかも。そう思ってしまう。ならんだ服屋を見ると恐ろしくなる。服のリメイク屋。一緒に考えませんか?どう生まれ変わらせたいか。世界は広い。宇宙は狭い。そんなミスマッチが俺を締め付けてはいまいか。目で見る範囲でとしてだ。それはもしや他惑星に住んでいないから。ということで始まっているのかも。もし他惑星に住んでいたとしてそこで「統治」という概念がどこまで及ぶかというと。それは「エネルギーの及ぶ範囲まで」ということになるだろう。ガンマ線バースト超新星が大規模な系の構造を変えるならそこまでの範囲ということになろう。それに対処するには系全体の協調が必要だ。それを考えたら太陽系外に移り住んだって「晴れて自由の身」とはならない。目が眩むようなシンチにも漠然と覆い被さってくるヒリつくような熱にも意味がある。ほんとうの自分でありたい。あれない。そのフラストレーションは人と違えばこそ。人の翼と私の翼は違う。ケータイを探して載っているとしたら私のページぐらいだ。それと宇宙際タイヒミュラー理論か。どうやってスタンダードにしていくか。だけど「個性がインフラ」と認識されはしてきている。じゃなけりゃあなたはエネルギーをもらえない。かなしい団子の今日だろう。ゆらぎも遥か宇宙の果てまで伝わっている。団子のままじゃいられない。それが今日とシンチ。このため一つ一つの素粒子の速度も確率的に振る舞う。我々が思っているようにはならない。あたりまえの線のようには。宇宙の果てまで続く標準偏差(ホワイトノイズ)だ。ゆらぎの大きさは分散なのだ。アンサンブル平均が画一的な「今の世界ガロア体」で収まっていては我々は息を吸うこともできない。ただのサンプル平均だといえよう。2次結合モーメントも取っていないお粗末な「与えられた世界」で「頭を抑えられた」トリートメントケアで「自分であることをわかりあうこと」もできない。我々は一人一人宇宙の果てまで響いている。大数の法則で自分がやった1回の試行が「どの程度の精度で宇宙を表しているか」お粗末な「合ってもいない」「与えられたトリートメントケア」では推し量ることができるだろうか。他の誰でもない自分の宇宙で。彼のエルゴード性と私のエルゴード性は全く違うのだから。物に当たったときの吹っ飛び方が違うのに同じ価値観であるはずがない。時間相関関数で我々は違うルートを辿る。連続スペクトルの合成と分解。ディラックデルタパルスの周波数(νn→∞)単位振幅のように。(t≠t'→δ(t-t')=0、t=t'→∫-∞,∞δ(t-t')dr'=1、連続関数f(t)=∫-∞,∞f(t')δ(t-t')dr'。積分記号の中でt=t'の項を拾い出す。もし〈x(t)w(t')〉∝δ(t-t')であれば極めてランダムな関数でなければならない。カラードノイズであってはいけない。したがってtとt'のゆらぎにはまったく相関がない)「エントロピー生成最小の原理」があるから下手な励ましには意味がない。画一的な励ましはできないかもしれない。たとえば「金」のような。それは「感応度」のようだ。個性とは。ある種の「自分の特性」を持った刺激には瞬時に世界を広げ宇宙を包み込む。あるいは果てまでいける。そして果てを広げていける。

ロシア軍は市長を誘拐して自分たちの市長を市長にしているらしい。侵略以外の何物でもない。