公衆どうなった?だいふキレイになった?

公衆どうなった?だいふキレイになった?まだアフリカあたりで猛威を振るっている。それは俺たち先進国の皺寄せなんだろう。まさに皺。紙切れ一枚で国ごと生活が右往左往される。あそこに必要なのはマイクロファンド。1,000円貸したら1,010円翌月に返してくれると。それで商売を建て直せる。ただ必要なのは10円の利益のために危険を犯してまで取り立てにいくことなんだ。なんの得にもなりゃしない。ただこの国の世界の大きな利益が見えているなら。紙切れ一枚のアウトボクシングがこんな皺寄せを生んでいる。テレビゲームみたいな世界になればよかった。ほとんど心の隙も入る余地がないような?そしてその世界に午前中は機械のように飛び込む。そんな世界を望んでいたか。悲しい女の子たちよ。それでもその僅かに熱を帯びたエントロピーはアフリカへ皺寄せがいく。たった一枚の紙。1,010円の利子を取り立てにいけないそのせいで。皺とはそういうものだ。尚輝核といって気弱な僕でありますから。演劇部がレイプ仲間を産んではまた共産党はレイプ仲間であると。最後はそこに繋がっている式を示していくしかない。何がいったい尚輝なのか。その線分を。展開しているのだ。いま見えている。おい見ろよと。そんな力で一人の人を囲った。うま飯摘んでは俺の分はもらったかと。もうやめらんねえな。押したあなたは時計台だった。つまんねえもん見せんなと。何様だ?やれよ。筋肉痛一つ作るくらい。ガン見してる。ガン見してるんだ机の向こうを。ブタ一匹飼ってた。そんなつもりでこんな緻密な作業をさせられてる。人に見た聞いた話。それがすべてで人の頭をコントロールしてるつもり。精神は俺が司っている。そんなキングになれたような気がしたんだ。いつしか。ハイな話だ。精神は俺が司ってるって?やはり共産党はレイプの源である気がしてならない。時間に追われるようなそれを。どうやって工場で欠陥のない製品(商品)を作った?誰かに言われて瑕疵に気づいたか?誰が君の製品に文句をツケルってゆう?君は欠陥がないことを証明したろ?そもそもそんなものを君は作りたがっていたか?わからない。そんなときもあった。原因ときっかけ(キッカケ)が交差してわからなくなる。言った言葉もそのあとに産んだ(生んだ)価値も。共産はマイナスの5番のエネルギーも。最期はしんみり(シンミリ)して終わる。妖気を吸い取って製品がたたずんで(佇んで)いる。そんなリチウム金属の左官にも似た美しさよ。ほんとは僕の方が生きたかったんだけどな。言葉の誤解がこの製品を生んだ。そうだろ?公衆はいつも少し人を吸い取る。吐き付けられるような人じゃないのだ。尚輝核はいつもそれに花を添える。そんなこんなで人は話せそうにない。だって少し吸い取りたいんだもの。それも大幅に。パチンコ台のように立ち姿を見てた。そうだ。パチンコ台と思っちゃうんだ。思わないつもりでいてもだんだんパチンコ台へとトランスフォームしていく。左の乳首を押すようなパチンコで。弟を見てたから。姫路の袖も下までは下りていけない。頭を下げた頭は禿げ頭で。腹を括った。ウィンドウに頭を挟まれた。ポッチはそんなかった。人なんて初めから見なきゃよかったものを。恋をした。貢物を企てた。そんな最初から見るだけでよかった。祭りのときにあのとき手を繋いだのは。何かの企てだったの?大きく見開かれる目を見ていたのだけども。どうやら眠りのあと。誰がこの子の遊びから紫の風に協調性を仕向けるの?この薄汚れた世界にあって。こいつがボスだと。いま思えば消防学校全然眼中になかったわ。救急課程の医者はおもしろかったけど。むしろ学校が眼中にあったことなんて東大ぐらいじゃないだろうか?いまでも入れるんだろうか?ちょっと問題やってみようか。うん。積分は置換積分だろ?分類は規則性を見つけて。ヒラメキ。そんなこともないか。確率でシグマ計算が1/2とか1/6(2n-1)(n+1)とかあるよな。あとは複素平面の回転?(cosθ,1 sinθ,-1)なんだっけ?場合分けの積分とか2次関数の面積とかあるだろ?三次四次の面積の最小値とか。体積はあまり見掛けないな。ベクトルも。出るとしたらベクトル的に解けるぐらいな?最大値最小値問題は絶対値を使った場合分け。整数問題は初等幾何を使った意外とlogなんかも使って極限の閉区間なのか開区間なのか。そんなところかな。あと三角関数積分も倍角公式も全然わかんないじゃん!あれはなー。ルジャンドル変換なんやろー。双対とかその辺の概念も含まれるなー。やっぱ意外と奥が深けーわー。τ関数の変換なんかも未だにわかんないし。Γ関数なんかも全然だろ?Γといえばクリストッフェル記号。一般相対性理論なんかも双対空間でバンバン考えられるんだろうか?ケーラー計量ってそうゆうことじゃないか?そもそもゼータが全然なんですわ。つまりはガロア体もなんにもわかってないのだ。物理に関していえば模範解答すら見たことがない。ループで天井でN=0になったときにコースターが回転できるとか。あらゆることに意外とキルヒホッフの法則が成り立ってるなんかかなー。流体なんかも。熱も。因果律なんかはグリーン関数が想像されるけど摂動を全部解くなんて土台無理な話だ。理想気体。practical gas.この辺でμポテンシャルなんかも出てくるだろう?化学なんかも実際は。近似計算の賜物だろう。統計に入ります。今までやってきた「線」とは「実在の線」なのか「ガウスな」「線」なのかが全然わからない。この辺も突き詰めてけばどうなんだろうね?ガウスな線があったりなかったり。実はなんてことも。ザリスキーな線もあってあってあって最後はないとか。で今までいったい何の線を計算してたわけ?ってことになる。そんなこといったら線なんてどこにもない。俺たちはいったい何をしているのだろう?あるまでない線を探すってか?最後は院に行ってその後は研究所。そもそも院試にすら俺は受かるまい。あれには過剰な証明があってそれにムダなエネルギーが使われると思っている。そのムダなエネルギーを払うか払わないかが判断の仕様だと。論文は半分は人のもんであるか自分のもんであるか。そんな余裕と余地のある論文が私は好きなのだ。つまりその人そのものの文章の流れであると。「い」でしかない。「い」「い」と私に飛んでくるのだ。私の顔面を押し広げようと。望月新一は言う「こうこうこうしてこれができる」と。望月新一はひとつのことにアプローチしているのだが、その手法は実に多段階的だ。望月新一の中では自然にそれができている。だが傍目から見ればそれは多重に多重を拡げていて非常に広範囲なアプローチなのだ。つまり彼にとって宇宙際タイヒミュラーのアプローチはごく自然なものなのだ。