リーマン予想で証明した1/2もそもそも存在しないのではないか

「e」といえば0と1を結びつける大事な数字であるが、0も1も正しくはこの世には存在しない。ポアンカレ予想(ペレルマンの定理)で証明された「球」も正しくはこの世には存在しない。我々は0も1も球も便宜的に用いているものであって完全に0や1や球となるものは概念でしかない。ただこれらの概念が「有用でない」といっているわけではなく、これらの概念がなくてはそもそも思考を始めることもできない。これらの概念が成り立っていると仮定しているから宇宙の標準理論が成り立っていると仮定できるわけだし、ニュートリノ質量が振動していることによって僅かに、そして徹底的に標準理論が成り立っていないともいえるわけである。我々は適当にiPhoneを用いているが「i」の概念である。もしかしてiだけが存在して実数その他の方が無かったとしたら笑える。「虚数」と言われているにも関わらずである。数すべてが虚であって「認識」すべてが虚でしかないとしたら我々は何を認識すべきであろうか。虚を虚であることか?『見ないでくれればなんでもできる』という歌を書いた。どこから我々の虚が入って動かされていることと動いていることがあるのか。我々は虚をみて真実を見る。いったいどこからが真実であって虚であるというのだろう。『問い』は誰かにとって虚かもしれないが時間稼ぎにはなる。かぐや姫は求婚相手に伝説の物品を持ってくるように頼んだがつまりは相手が嫌だったのである。見ないでくれればなんでもできる。つまりは地にいることもできたのだろうか。私の司令は「自由になって」である。