「十」といってこれは「一」と「|」が「クロスセッション」していることを考えよう。「一」は「時間で」「|」は位置だとする。これがクロスセッションすることによって我々が認識するような「力」が生まれる。「十」も「重力」の「重」も同じく「じゅう」と読むものであるが、「位置」と「時間」が「クロスセッション」することで「重力」が生まれるとしたら「Λ=0」の世界は「位置と時間が交差していない」と考えれないだろうか。つまり位置も時間も「素通り」であり、遮るものなどなにもないのである。位置単体で、あるいは時間単体でも微分可能なのであろうか。これはただの数体が微分されることに等しいのではないだろうか。つまりは「一」(『マイナス』)という概念(演算)自体を微分するのだ。記号にしてみれば「∫_一」のようなものだ。マイナスという演算をひたすら細かくする。こうすると私は宇宙全体(あるいは数体全体)として「十」や「×」や「÷」といった概念(演算)とどこかで「つながっている」と予想している。つまりある概念(宇宙)(数体)を足せば、どこかの概念(宇宙)(数体)として「一」「×」や「÷」といった概念に変換されているということだ。「Λ=0」となったとき、アインシュタインイコエーション自体も「G=T=0」と消滅してしまうだろう、ということだ。このとき、第三者でみれるようなユニバーサルな演算は存在しないということだ。