ユニバーサルな地域性

果たしてみんなの基本的な遺伝子が一点多重辺ループでできているとする。それをユニバーサルに拡張したときに自然な拡張になっているか。私の名前は尚輝であるが、その地域性はどうか。年齢的にみても生まれたときのそれが年を経て自然な拡張になっているか。私が愛ちゃんに会いにいこうとしたときに経済的な理由でなかなかたどりつけないでいる。空飛ぶ水素自動車を作って宇宙線とドローンで水素を分解し、宇宙船ごと人工マントルを作って3mmほどの大気を華朽ちよとさせるまではいった。ツーといえばカーというが、ツーといえばツー、いやそのどちらもない口開いたところで。研究と好きなアーティストのライブのどちらがいいかは研究者次第ではないか。それがやりがい搾取というのではないか。リアルな悪役といまにもやられそうな勢いの悪役の区別がまったくつきそうもない。ツーといえばツーといった形をその人そのもので選べるのではないか。検証ストレスとはいったものなのだ。ユニバーサルなものと地域的なもの。それが自然な拡張になっているか。ユニバーサルに展開していったときにすべてがちぎれてしまうものではいけないのだ。逆に全身ががん細胞に置き換わったとしてもこのスターウォーズに勝利するのであれば地域性を獲得できると思うのだ。ダークマターを検証するにはこのような目が必要になると思う。我々は地域的な目を獲得していない。空中に浮いた水素はそのまま膨張して分解されていくのではないか。羽を畳めばそのまま落下するのではないか。初期の浮力もふつうのエレベーターと水道管で羽を折り畳んだ状態で落下してその速度でらせんで上がっていく。