一人国家からの自由か、それ以外か。証拠は人に見せるためのもの。色の鮮やかさや軽さや重さと。財務エクセルと個人情報のように。めちゃめちゃ注目してるけど相手は国家だということを。お金の存在を受け入れてないなら、今度は世界からの自由になるかもしれない。確かにお金に甘みを感じていないところがある、目が疲れるだけというか。最終的にしつこさを嫌がるかどうかということになる。頭押さえるも首切ってるに等しいからなあ。先生、も胸像という意味で首切ってるのかもしれない。ある意味大ダメージの刃だ。他に眼圧を譲ることになってしまう。先生イコール悪いことしろ、になってしまわないよう気をつけなければならない。ましてや文系の先生とは一体なんなのか。論文自体がいいこともあるが悪いこともあるといっているのに、いいことだけを聞きたい人に長い悪い面の話は受け入れ難い。光にも音にもお金にも粒々ごとに弱いやつをポチるような眼圧が混ざっているなら、一回二回とそれをやったやつはやめられないだろう。まったく逆のことをやるがために先生と誰だかわからない、誰だかわからないがゆえに問題となっている、例えば警察官には金に甘みがある。公務員だからだ。却ってそれに残業をやめろとは先生とて言い難い。先生という存在は自由とはかけ離れている。全身が首であるかのような視点と地球全体に首紐を掛けるような視点だ。