生きられるだろう、お腹まわりを冷やせば食べ物ができる。だが、温度を上げることに比べて下げることは難しい。圧力を上げたものを、下げる変化を伴わなければ温度は下がらない。持続性を伴うことに意味はないが、持続性を伴わないことにも意味がない。次元がない、とは意味がないことだ。圧力と体積があって、表面積がない。まっすぐ見ているものが体の中にあるとはおどろきだ。眠くなるのは外よりも中の世界のほうが温かいからじゃないだろうか。家は野菜か?だんだん家が近づいてきて、家の中にいる。無農薬であることに気づく。太陽が中にしまわれている。農薬と肥料が同じ物だとしたら太陽がしまわれているしかない。だとしたら野菜自身である。野菜自身は野菜を食べないだろう。だが言えることは野菜自身は自分を野菜だと思っていないことだ。であるなら意味とはなにか。すでに外の世界は意味なのではないか。外の世界とは圧力である。いま現に私は圧力を受けているのだ。薬品会社が資源を独占していたら殺人であるといった。だが薬品が薬品である必要はどこにもない。つまり薬品がいつもあることは常にむだなのだ。薬品とは圧力でしかない。圧力としてしか存在しえない。私は薬品に次元を変えてほしいとは思っていない。すべての人が薬学部である、は学部の中でもっとも成り立つ。そして法学部はある意味圧力学者というか。法には体積と温度がある。そして私は法に次元を変えてほしいと思っていない。そして外の世界があるのだ。人が法というときの体積と温度と外の世界。法という暖かさと同じくらい温度が下がるのだ。陰圧が薬になっている、そんなことがあるのか。体の一部分だけが寸断された状態が本人のためである、と。それを自分でできるか。怠惰ゆえに資源が失われることがある。その一部分だけが欠損することを。なんの意識もなくは難しいのではないか。アイテムなしに体を欠損させるなど。連続的に体を動かして連続欠損ならできるか。