愛は無に似ている。何も考えずにいられるなら愛はどういった動きを取るのだろう。最近の若い子たちの間では「愛している」は「重く」取られるようだ。だから愛しているではなく、「好き」とかもっと軽い感じの遠回しな言い回しが好まれるようだ。最近の子供達は植物のように「動かなくても」コンビニ社会で、日光を浴びて二酸化炭素を吸収していれば生きていけるようになった。だから、その樹木をなぎ倒されるような、突然の愛には戸惑ってしまうのかもしれない。昔は「自分の価値観を全部ぶっ壊してくれた人」が結婚相手だったりしたが、最近の子はどうなんだろうか。黙っていても一緒にいて心地良かったり、何となく話が合うような子をパートナーに選ぶのかもしれない。昔のように、ただただ「イイ女を連れている」「ハイブランドな男」といった価値観は薄れてきているのかもしれない。寧ろ「愛」ではなく、ホッとできるような「無」を求めているのではないだろうか。それでも「大事なところでは頼り甲斐があってほしい」というのは女性にとってはストレートな要望だと思うし、「影で支えてくれる」という意味で「頼り甲斐がある」女性を求めているのも男性の本音だろう。女性が社会に進出しているが、それは女性が強くなってきているだけというわけではなく、男性も女性も「手軽に生きられる時代が来ているから」というのが事実ではないだろうか。