「昭和」を代表するポップスとしては「チェッカーズ」が好きで「平成」を代表するポップスとしては「Mr.Children」がそれだと思っている。だが今カラオケでそれを歌うとなるとなんだか恥ずかしい気がする。好きな事は間違いない。歌いたいのだ。だがそれがみんなに届くかは微妙だ。「なんすか。懐メロっすか?」「懐メロっすねー。さすがっすねー。」そんな苦笑が浮かぶ。チェッカーズの歌詞の世界観は「大人に反抗する不良」ミスチルの世界観は少々「イモ臭い」といった印象を受ける。「たいしたオシャレでもないのにいいべべ着せられて歌わされた」「それを今でも本当の自分だと思っている」そんなかんじ。だけど両者の歌詞に登場するような主人公の感情が決して無くなったわけではい。ただそれをストレートに歌ったときにところどころ現在ではタブーとなっているようなストレートな感情表現、それはだいたい差別的なものだが、があって大人感情にはなんか大きな声を出せないのだ。歌いたい。その80sと90sと今を繋ぐ転回はどこかにないもんだろうか。Official髭男dismはなんだかんだとそれに成功してるような気がする。「猫」のDISH//もあいみょんもそうだ。だけど俺はどこかチェッカーズやミスチルのままなのだ。だがさっきふと思ったのだがチェッカーズやミスチルのリリックを幼稚園児や保育園児の感情で歌ってみたらどうだろうか。そうだ。俺は思っていたんだ。現代風の大人に囲まれてどこか不自由そうな感情の檻に入れられている幼稚園児や保育園児を。いったいどれだけのどこのどいつが4才5才で洗練された2020年のマナーをネイティブで持ってるんだろうか。きっと親たちだってそんな綺麗すぎる令和の意識に少し萎縮してるんじゃないだろうか。それが子供たち4才5才にミラーに反映されているのだ。これでは大人になったとき息苦しくなってしまう。「俺は生まれてから一度も感情を表に出したこともないまま本当の自分がなんなのかもわからず情報の海で心の断片を繋いでいる。どれも自分じゃない気がしている。」そうなってしまうのがたまらく怖いのだ。そこで思いついた。俺たち40ぐらいの人間が10代で抱えていた感情は今や4才5才の幼稚園児・保育園児がすでにその葛藤の中にいるのでは?と。どうだろう。通り過ぎていく一緒に遊んでた女の子がとても切ない。『パシフィックブルー夏が来るたび会いたくて』『怖がらないで。手当たり次第あかり付けなくてもいつか一人ぼっちの夜は明けていくよ』そんな子供たちのトーンと聞こえてこないだろうか。だからみなさん。チェッカーズ・ミスチルを恥ずかしがらずにどんどん歌ってこうじゃありませんか。