口が臭いから背が低いからハゲてるからで「救わない」などという選択肢の方に体が反応していいのか。

親の役目もどんどん終わっていくと感じる。改めて世界の平和を祈りたい。口が臭くったっていいじゃないか。背が低くたって。頭がハゲてようが。今目の前の人を救おうとして。とりあえず今はよしとしよう。人間関係の意味以外でそれが重要になることなんてあるのか?とりあえず目の前の人を救おうと思って。口が臭いから背が低いからハゲてるからで「救わない」などという選択肢の方に体が反応していいのか。そういうことも世界の平和と目の前の世界とはたった一本の線でつながっている気がする。私たちがやろうとしていることは物質を作り出す以前にそういった気持ちの持ちようなのだ。いったいどこに向かって物質を作り出そうとしているのか。飛行機と流動のディビエーション以外に我々は大きな壁をいくつも乗り越えてなんの利益を最大化しようとしているのか。我々は人間でなくてはならない。人間にならなくてはならない。簡単なことではない。だが人間になろうとする努力を逸脱して我々は優先席のパスポートを手に入れたいんだろうか?西も東も「お通りください」などといわれて「愛」は。その二本の線に息子を乗せたりするだろうか?息子に太ったメガネの男を括り付けるんじゃないだろうか?美容に問題があるからってその一歩を踏み出せぬか。もしdefine once and onlyで定義されるなら共役の取り方も人それぞれ。個々際タイヒミュラー理論だ。人のつながりも命そのもの。未来の人も。過去の人も。東京の酸素を何につかう?食べ物を得るのに「やれるのか」「浸透するのか」ここで男女が選べる幅があるか。物質も銀河も変わりゃしねえ。