ランドスケープをつくる。ランドスケープには触れられたくないと思っている。

ブスだから嫌いということは絶対ない。ランドスケープをつくる。ランドスケープには触れられたくないと思っている。人として仕事してるというわりにブスは嫌いといっているとはおかしなことだ。とんだ自転車操業。人付き合いができているとはとてもいえない。悲しいのは便所みたいなやつが便所みたいなやつを求めているということだろう。きりがない。便所みたいなやつを潰すために便所のごはんを食べた。それで化粧品を買うってのか?つまりブスをブスというサイクルには未来がないのだ。少し生きることを教えてやりたい。ただランドスケープに見えているのはあふれるほど温かく人に迎えられる世界かもしれない。それを現世で叶える手助けをするのが人間というものであろう?仕事というにはおもはかない。かといって話しかけづらい奴に話しかけるには「至近距離におけるプレッシャー」に「瞬時の判断をくだす」「自己と他者と交差する社会ヒエラルキー」を勘案されたものでなければ成り立たないのだ。またこれは成り立っておわりのものでもない。またこのネット社会の時代に「退廃した環境」に自ら足を踏み入れることなどあろうか。人助けだといったって、おかしなやつが入ってきた、としか思われないだろう。このようにブスをブスだという環境はひねくれている。嘘をつくことでさえもここでは求められているのだ。まさに便所の飯だ。こうした感情もすべては「近寄りがたいが話しかけなければいけない」「話しかけられない」ことから逃げる自分を正当化し、安眠を得たいところから始まっているのだ。そう。嘘とリアルの境界線をごめんといいながら食べられているのだ。温かく迎えられるその光景を。一つ触れたい。そう思うだけでほんとうは壊れそうな自分を見てたんだろう?あいつの言ってること8割マジどうでもいいこと。だけどそれさえも「至近距離におけるプレッシャー」に「瞬時の判断をくだす」「自己と他者と交差する社会ヒエラルキー」を勘案されたものでなければ成り立たないのだ。星陵をなんと思ったかということだ。どうでもいいこと。でもどうでもいいことさえも言うのは難しい。軽口になるかはわからない。遊びにムキになっていると俺は思ったんだけどな。もう言うべきことは言ったんだよ。どうしてもあげたかった。銀河にも雨が降るって。これ以上のもんをあげられるだろうか?星陵。銀河にも雨が降る。問題は京の境界線も関手でできていることだ。カキノウカのカキが人類を駆け巡ることなんてあるんだろうか?食い物はぶっ殺して食うもんだと思っていた。いや。植物ほどやべえ奴らはいない。