自分の幾何学は絶対にある

あたりまえのことかもしれないが言わせてもらう。「自分の好みの顔」かもしれないし、「あるものを見たときの見方」かもしれない。逆に「ない」と言った方が不自然だろう。だからこそ我々は容姿も違えば価値観も違うのだ。そしてこの価値観(自分の幾何学)は刻一刻と変わる。朝は土曜日、日曜日と家でのんびり過ごして純粋に自分の幾何学に近づいたかもしれない。が、月曜日の午前中に仕事にいって自分の幾何学は知らず知らずのうちに機械化している。この幾何学は誰のものでもない。