同じ数学は存在しない。【みかん1】に対する感性はちがう。

最近は数学に対する嫌悪感みたいなものもよく感じるようになった。AIが支配的にも人の世界を動かしているのもあるし、『数字で評価されたくない』と多くの人が思っていることもある。あなたが、こうこうこのようなエビデンスで私の行為は正しい、としていても、正しさが即ち人の命を危ぶむことだってあるのだ。なんでもかんでも化けの皮を剥がされる今、自分に正しくない部分があることなど100も承知である人がほとんどであるのだ。

このような理由から、数的な根拠をもって正しさを主張してくる人を、ほとんどの人は敵とみなす。かといってそうでもない部分もあって、金のご利益にあずかれるなら、数的な根拠をもっている人に、好きであろうと嫌いであろうと平気で媚びる、という癖をなんの臆面もなく、息を吸うように行なっている大衆の側面もある。姿も晒さず、大衆の一部であるだけで金が入ってくるなら、安心して自分も乗っかろうというのである。

数字の実態がこのようであるので、万人にも共通するような共通の数字など存在しないのだ。かの三平方の定理でさえ、こちらから見たものと、あちら側から見たものとでは、まったく捉え方など違うのだ。

いまある数学とは、それぞれが自分の尺度でものを見るための“参考資料”程度のものでしかないのだ。

つまり言いたいことは、同じ数字はこの世にはひとつとして存在しないということだ。【みかん1】が非常にほしい人もいれば、【あの子が愛しただれかの仮面1】がほしい人もいるのだ。願わくば、それぞれの数字が、思い遣りと優しさをもって交換されんことを望む。