法律もどちらかというと俺じゃなく必要な人に覚えてもらいたい

きりがない。もちろん大切なのは本人が人を傷つける気がない、という心なのであるが、虐待された人が人生に絶望を抱え、闇を侍らせて攻撃に転じる、というのが負のサイクルの成り立ちなのである。少しでも強くなって、だんだん強くなって、自分を守れるようになったら人を傷つける歪みの試みもなくなっていってもらいたい。自分を守れない、と思うからこそ人に圧力を加える方に、半ば本能的に転じてしまうと思うのだ。もちろん本来強くないからといって傷つけられるなどというシステムは存在しない。だからこそ強くなったときに復讐に転じてしまうという反跳作用が生じる。傷つけられることは理不尽なのだ。法律を知れば知るほど、『内面までは攻撃してはいけない』ということを知る。だが、手っ取り早く人は、やってはいけない、というその内面を攻撃しがちだ。憲法の精神を理解することによって、やりすぎない、という身の守り方及び社会を維持していく方法を知ることができる。やりすぎ、という現実も法の世界にも存在するが、それはスラップ訴訟と呼ばれている。