法とは何か
ほとんど「無事」であるという事だ。無事というのは何も無い事だ。われわれの幸福追求や自由も、突き詰めていけば「何も無い」を目標としている。つまりは「ある侵害されたもの」はいつもあって、それを何とかしたいと思う。例えばお金がないとか、それ以外のものが満たされていないとか、蛇口から水が出ないとかだ。何らかの欠乏がいつもあって、そこから無事になりたいのだ。
それにしてもこの法の量は尋常ではない。これほどまでにわれわれの生活に法が張り巡らされているとは思わない。普通ならそれを意識して過ごすこともないが、こうまでしなくては地球が正常に脈動を打つ事はないのだということだ。
まだできる。まだ違う立場で。これらを一体と見做して生きることを。どうせ誰もここから抜け出せはしないのだ。好きとか嫌いとかは全然関係がないのだ。好きとか嫌いとかの感情を何の価値判断もなく先入観で抱くことは危険なのだ。
少なくともそれぞれの法には価値がある。ある意味、多弁に語る事を省いてくれている。つまり永きの論争を著してくれているのだ。