本来、人は無限に責任を負う

ただ負わされることはない。というのも本来、可分なものなど存在しないからだ。影響を受けないものがない、ということである。だが、その時点で、裁断を設けなくてはいけない、となると現存する利益において、他人物と自己物に分かれる。すると「地球は誰のものでもない」ということはなく、その物権に応じて、裁断されなくてはならない。その一物を通して地球と繋がっている以上、まったく無価値のものは存在せず、誰でも無限の価値を留めておくことができるのだ。

価値がない、価値がある、の等価性を求めて、産業革命以降スケールの大きな財産価値の高い物を、多人数の出資で作り上げてきたが、単純に「近くにあるものは価値が高い」なぜならば遠くにある物は届かないから、このような折り重なりも、遠く、近く、も幾つもクロスオーバーして一つの「物」として「切り取れる可能性があるもの」として、すべては存在しているのだ。

ある意味、いま存在するものは「放棄されたものの塊」かもしれない。

そしてこれは本来、裁断されたときに一直線に世界市民全員に等しく分配されるはずである。