再生エネルギーのコストはプラスか?

標記の件について考えていきたい。再生エネルギーを得るには、まずその建築コストが掛かる。建築コストというのはここでは建築するための建築費。←これは問わないことにする。なぜならば建築費用のそのほとんどは人件費であるからだ。今問題にしている建築費用というのは「エネルギーそのもの」のことである。つまり、太陽光発電ならその基盤、あるいは海上風力発電ならその基盤(海上風車)を作るのに、「その再生エネルギーだけで作った電力で作れるか」ということである。つまり、その基盤を作るだけの工場を動かし、原材料を取るだけの動力を動かし、運搬するだけの動力を動かし、その電力を輸送するだけの設備を作れるか、また、それを維持していくだけの再びの基盤を再導入できるか、ということである。わかりやすく言ってしまえばそれが「再生」ということだろう。もし、ここでその再生が可能ということであれば、それは人が維持していけば地球は減りもしないし、増えもしないことができるだろう。だったら人は喜んでその上を循環すればよい。今現在、夢のエネルギーだと思われている水素は実は石油からできている。メタンのCH4からさらに石油のエネルギーを使ってCと2H2をひっぺがせばそれになる。なんとエコだと思われているものを表向きその体裁を演出するのに、「つまるところの石油」を使っているのだ。まあ表向きの体裁も全く必要でないとは言わない。嘘がいつかほんとになればいいとはどこの国でもやっていることだ。話は戻って標記の件だが、再生エネルギーのコストをプラスにすることは可能ではあると思う。ただそれは我々が思っているよりもとてもスローなものになってしまうことだ。ビュンビュン車が飛び交っているイメージとはまったくかけ離れてトロトロとエコカートが移動して数年掛けて目的地まで辿り着くようなそんな絵面だと思っていただいて構わない。それはとてもかっこわるい光景だろう。だがもしかしたら真実のスピードはこの程度なのかもしれない。あるいは中国も狙っているように月からヘリウム3を運んできて核融合でもって放射能の雨を掻い潜りながら宇宙世界を開発させていくのも真実のスピードでもあると思う。片や再生エネルギーの方もどんどん省電力高効率な適温超伝導などが開発されて「それはそれでどちらでもよかった」という話にもなるかもしれない。いずれにせよ選択肢はたくさんあった方がよいが、やっかいな高エネルギー廃棄物を扱うのはまさに宇宙空間でのミスの許されないライフとなろう。