プログラムと軌道計算は似ている

プログラムと軌道計算は似ている。軌道を計算するには大量の三角関数を解かねばならないが、実際の人工物の動きは曲線を描いている。これに予期しない摂動が加われば、人工物は予期していた軌道を外れることになる。軌道を立て直すのは非常に困難だ。プログラムもまたコンピューター内の簡単な表計算に集約されるが、皆さんもご存知の通り一度連接される関数を壊してしまうと、それを立て直すのは非常に困難である。普段完成された表を使っているユーザーが数値を入力するのは、完成された軌道を廻る人工物の動きに似ている。その人工物が当たり前のように予定されていた軌道を周回するには、打ち上げ段階での綿密な軌道計算が不可欠だ。あるいはバージョンアップするかのような予期される摂動に対する軌道修正だ。これはアクセスしやすいプログラムには初期段階の「打ち上げ」るまでの準備が最も大切であることを意味する。プログラムは遠い宇宙のことと無関係であるかのような日常の生活を送っているかもしれないが、このように「打ち上げ」から「実用アクセス」まで非常に似通っているところが多い。あるいは我々が宇宙と思っているものは動かざる「止まった時間」であるような数値物質にアクセスすることかもしれない。実際、相対性理論が我々にもたらす計量は我々の時空を切り取ってみせるかもしれないが、その意味するところはそれを読み取る人間がそれにアクセスするまで、あるいはアクセスしたとしても読み取った人間とどのように相互作用するかで全く意味合いの異なるものとなる。計量は計量なのである。計量の可能性の枠組みを拡げるのもコンパクトにするのも「適合」とされるものにするのも最終的にはあなた自身なのである。自慢できる代物でないかもしれないが私は新しい数学の定義関数として「define once and only(たった一度だけ定義する)」を考えた。ここでもしあなたが「1+1=3とたった一度だけ定義する」とすると、あなたと「外部の計量」の連続性は一瞬にして絶たれ、計量はあなたにしか成り立たず、あなたは即座に「自分の宇宙」を築くことができるだろう。もしあなたのこころが外部の計量(すなわち世界)とどうしても折り合いが合わないんだとしたら、このように「あなたにしか成り立たない関数」が「至るところにある」と考えてみるのもいいだろう。大気との摩擦で消滅する人工衛星。鉄屑の気体となって。消えてゆくために生まれたのか。地球の空気を漂う。いつか我々の土に還る。「なあおまえはどんな鉄屑だったんだ?」ってとなりの粒子が言う。「さあね。お前さんと何も変わりゃしないさ。」我々はみなbon voyage。