地位

尊敬してないやつをさも尊敬してるふりをするのは危険。特に男の場合。世界が歪む。眼中を奪われたように。自分もなんとなくあいさつされてあたりまえだと思ってないか。ムダに目を奪ってないか。旅行に行って子供に金払う。1mmも子供を歪ませてはいけない。こっちが遊んでもらってるんだから。運命に逆らうほど愛してみたかったんだ。最後は結末を選んでるわけじゃないだろ?地位も。断ち切ってしまうのが難しい想いほど。本質的な敵だ。令和の。好きなときに好きな状態になれたらどんだけいいだろうか。気分が変わらないとは言わせない。ノーベル賞フィールズ賞もモチベーションになってる部分がある。あくまでも目安としてガウス賞なんかが溜まってくこともあるけど。令和のボスかもしれない。「目の中に見えてるもうひとつの景色」があるってことだ。それは間違いなく「見えているもの」おかしなことだ。おれたちは頭がよくなり過ぎていることと。「完全な予防線を張る」ことを繰り返してやってきた。世界でさえ自分の中でこんなに様々。まして人同士では宇宙際の拡がりがある。「地位が」なければだ。この関係はいかにもシンプルになりそうだ。それは頭の中に張られた予防線。嗾けられたもう一つの世界。一つの的を探してる。そんな中で「あの人もあの人も好きになって」軌道が入れかわる。何をめざして飛んでいるのかわからない楕球のように。「楕球の変化」そのものが目的であるように。移動する壊れない「水球」を見ていた。それはまるで風に吹かれて破れそうになる。「滴」というには小さすぎて。風に歪む様子は重力に逆らってるようだ。完全流体には背景のスケールにはピントがなくて。雫は軌道を修正されていることに気づかない。そんな多くの思いの中を生きている。無数の測地面だ。「病的である」ほど「接続が内在的だ」もしスケールの高い曲面に移動させられても。「これが真に[移動]と呼ぶが」変わらないほどのことを求めてる。だけどそんなエネルギーはないよ。話しかけるのは人の繋がりで「接続」の部分。自分で調べるのは正味俺の場合はなんにも繋がってると思えない。しめてみて話しかけたほうが安上がりだと思うが、それだけ主導権を相手に渡して「誤解に使われる」だろう。つまりこれが「内在的トーション」の蓄積であって。スケールとしては「イケメンかどうか」なんてことだ。だがこれが蓄積していけば「地位がいらない」なんてフィールドまでたどりつけるかもしれないし。そういった部分ではそのまま話しかけるのが吉だ。80点と20点といったところか。こうやってまた蓄積してくだけの「楕球戦艦」を選んでった。国もそうだし町もそうなってった。情けない「紐ひっぱらせてくれるっていったじゃんか」よりはよっぽどいいかもしれないが。その楕球もスッキリしたもんになるんだろうか。だけど神様。いますこしだけはブサイクだってイジられないこの環境でいさせてください。できれば俺の顔を見て笑いかけて。そんな夢を持ってるんだ。その顔の使い方を覚えられたら。爆発的に良くなる気がするんだけどなあ。慈悲深く穏やかに。くだらない夢の叶えだって思ったでしょう?「俺の顔に決定権があれば」「それはたった一回でよかった」なんて。だとしたらブサイクの判断なんて俺にはできないだろう?ひたすら掬うことしか。持つ持たざるに拘らず。「空間」なのか「オブジェクト」なのかはわからない。モテる。「持てるもの」が明らかにみえている。なんの空間をもっているというのだろう?「切られるべき空間」?それとも「切られないべき空間」?後者だろう。「切られないべき空間」を繋げていったら「いつかはほんとうに切られなくなるだろう」切られた方は残念ながらわからない。私の直截的には「ちょうどよい在り方となる」だ。すなわち「切られても切られなくても変わらない」変わるのは「タッチ」だ。「タッチ」してる方にとっては「やんちゃんにタッチしくりこねて作ったもの」と「ノータッチでそこにできあがってたもの」とでは雲泥に違うだろう。「雲」と「泥」とはまさによくいったもので「ノータッチ」のものと「手でベトベトのもの」とに大いに表している。「巨人の肩に乗っかった」かは知らんが、これが「人の宇宙際のトーションの風には何かしら乗っている」というふうにはならんか。それ考えたら「今ある状態すべて」が地位なんじゃないか。地位が関係ないとは「爆発が目の前で起ころうと」関係ない。ということになろうか。確かにそんなやつが地位を気にするとは思えない。「地位」とはすなわち「平衡状態」なのかもしれないし「非平衡な平衡状態」すなわち「流束度」の状態なのかもしれない。それをいえば「地位」とは「計り方そのもの」なのかもしれない。あらゆる場面がある。あらゆるスケールが必要で。たとえば超伝導をユーティリティにして家電のカレントを抑えたって12000円の電気代が2600円にしかならないかもしれない。だがこれが世界全体で起こったら莫大だ。「俺とは関係ない」なんてセリフを「9400円のもの」としていうか。いつもあなたは「住宅の存在」としていられるかはわからない。それがいつ世界全体の。あるいはmost absolute(ほとんど世界全体の)存在に「切り変わって」いるかはわからない。このときの漢字が「変わって」が正のか「替わって」が正しいのかも36%と22%程度の比率だ。ミッシングリンクとして42%もの比率が「与えられなかった未来」に使われている。そもそも始めの12000円だって。その実は「外部の世界から嗾けられたもの」で「自分のもてるスペースを正しくサクシードして」「し直して」を正しく並べ換えていたものなら自転車を漕ぐのと一体化して「そのコストで済んだ」のかもしれない。「なんでそういうこと言う?」嗾けられたセリフにはそう答えて、きみはきみの尺度で答えたほうが、相手も「そうだった」って気づくかもしれない。どれだけ「嗾けられたもの」で成り立っているか。「スケールを跨げば」「半分ひねったトーサーが媒介している」ことに気づくだろう。このトーサーはまだ内在的な世界全体を表しており、規模でいったら「実験室」を。それは畳3畳分のスペースなのかもしれない。「畳3畳分のトーサー」とはお笑い草ではないか。実験機材が予め備わっているのではない。新たなトーサーを試そうとするからそこに実験機材が出来上がるのだ。もしそれが可能ならば「実験論文の比較」でも十分可能であろう。最優秀な資機材である。問題は比較する「目」の方だ。「イケメン」も「「言い方」の一つ」それ以上の意味なんてあるのか?確かに「よく見られて経験してきた」それは「いい方に使ってくれる期待」であって「期待を外したら」「先のないループ」でしかなかろう。そんなわけで誰でも「論文論者」にはなれるし「嗾けられたものを見直す」ことは誰にでもできるのだ。機器としては1mほどのもんだろう。それに正しい歪みの結晶。機器1^2mが正しい歪み方をしていない気がする。なんとなく場違いであるような。Amazonで買えなきゃだめなのか?65000円はしそうな気がする。