火星でみたロボットは命そのものだった。

火星でみたロボットは命そのものだった。かわいい。そばにいて。「水を見たい」と思った。フキダシの文字が川に見えた。見渡すかぎりの砂漠で。塩水なんて贅沢は言わないけど。液体の流れが見たかった。たとえ毒でも。画像を見てて3分でホームシックになった。ロボットが2匹いたらかわいいだろうなあ。「直してあげる」そんなことを言って愛たい。家を作るロボットのプログラムを組んで。だけどもっと火星全体を見なきゃダメだな。大きな「循環」を作らないと。かならず「ゴール」から入らないと。ある一定の。「たどり着いた」っていう。じゃないと闇雲に家作ったって死んでしまう。きれいだ。「好き」って言ったら僕をボロボロにするんだろう。それやってあげたい。呆れるほどボロボロになったら。「それでも嫌いじゃないんだ」って思ってくれるかい?バカを見る目が「宇宙人ってバカだったんだな」って。川を見る目って殴っても殴ってもそう。ただの線のようになってる。振り返って話し掛けないで。私から袖を摑むから。ただかわいいって。でもきれいだ。火星と君は変わらないような気がしてる。ただそのプルバックがなくなるまで君は進化しつづける。それはエッジじゃなくても「2」を与える。なんら物質を送るわけじゃなくてもそれは「地球と火星の配管」かもしれない。エッジじゃなくてもそれは「-」のようになる。直線的で。だけどそれは確かに「物質」をやりとりするもんじゃない。火星に帰するものは火星に帰している。だけどそれはたしかに「-」で繋がった。情報をやり取りするように明らかだ。いま「彼」はもはや「火星にいる」;そんな自分で成し遂げたものなどなかったかのように。ファーストラビットは口に出して言う前に君だけの目印に覆い尽くされた。ある者は足首を見るように。即ちそれは地球となる。地球が振り返って私を飲み込むなら。それは荒々しい地球だな。でもそんなところも好きよ。だから好きなの。わかる?愛してるなんて安いものは本人も気づかないものなのよ。「愛してる」と思った瞬間にそれはなくなる。今度からはそうするわ。愛してるとは弱々しい響きであるが、わたしは「命の輝き」のようなものを求めている。すなわち愛している。個々違って当然の「命の輝き」を最大限に引き出す。それは「人から与えられたトーション」では足りないのだ。「顔」を失ってしまう。そんなようなものを強いてきた大人もわるいが、それは「機械優位」の時代から「人間優位」の時代への進化の旅立ちに他ならない。マテリアルの中に見い出すのは「人間性の尊重」なのだ。今まで単一の「原子と分子」にしか見えてなかったものがこんなにも「様々な表情」で相互作用している。あるいは「地球磁場とフォノン」の「太陽風とスカーミオン」の相互作用だってあるのだ。「クラウド(雲)」は宇宙に普遍的にあるものだが、それと銀河系の彼方の相互作用だって考えられるのだ。ある女の子は「クラウド(雲)」でいることを春の幸せとかんじているが、誰かが呼び起こすことでその幸せは後世の単純なケプラーアトラクターになってしまうのかもしれない。マテリアルの性質を「拡げる」とそのあいだに「人が住める」ようになるのかもしれない。その「拡げ方」が「他動的」であると「その性質」は十分に生かされないままカタスミに追いやられる。私は十分にその性質を知らないままマテリアルを使っているのだ。それは人についてもそうなのではないか。本来もてる相互作用があるのに不十分な性質の側面だけをみて80%はつかって20%は捨てている。クラウド(雲)は「未来が定まっていない」状態である。もしかしたら銀河のずっと向こうの方まで手を伸ばしているのかもしれない。触らなければあらゆる影響の声や音を感じることができる。そうだ。こいつはそんな「神」になりたかったんだ。捨てられるもんじゃなく。火星にも必須栄養素は分布しているがその分布は至って微妙だ。火星まるごと最大限にファシリティーを分布させて人1人しか生きられないとかは悲しいじゃないか。まあ人1人にはそれだけの価値があるのかもしれないが「家」となったら必ず「惑星規模」になる。まるで蛸がボールに吸い付いたような構図になるが蛸は小さすぎて見えない。