我々は簡単な方法では交わっていない

我々は簡単な方法では交わっていない。人を軽んじないほうがいい。アウトドアに一歩踏み出してほしいと思う。だが人の道を外れる。野武士のようなことをやっている。ばかだと思われて自分の身を守れなくなるんじゃないか。人の心に集(たか)ろうとする心が軽んじた人生を歩もうとしていない自分の心を挫こうとするのではないか。そんなことが危惧される。確かに女子は人を軽んじた男から自分の身を守ることがそのまま社会を形成することに繋がっている。したがって自分自身が楽しもうとすることが隙に繋がってしまう。こんな意味で女子はまだ地球上に「生まれてもいない」ような気がしてくる。人的被害を除いて真にこの地球において「地球を手に取ってみた」あるいは「自分に必要なものとして物質を手に取ってみた」ことなどないのではないだろうか。だから自分自身が何者であるかも真の意味でわかったことなどない。常に人的被害と隣り合わせで生きてきたのだ。ただ今になってSDGsが叫ばれる中で「実際に手に取って海洋を眺めてみること」「環境のなんたるかを自分との関わりから知ろうとすること」がなんとなくだが他人事ではないような気がしているのではないだろうか。SNSも社会に浸透する中で、環境も人権配慮も「どこか社会のお偉いさん」がやっていることではなく、まさに自分自身の行動から生まれていることがわかってきているのではないだろうか。