ユニバーサルなリーマン線は引けない。必要なのは「顔のある「みんな」」なのだ。

ユニバーサルなリーマン線は引けない。引く必要がない。あなたにしか引けない。それはどんな線になるか?少し前にあるか。少し前じゃなきゃ引けないのか。「今」は少し前にあるのか。「顔のない「みんな」」そんな感じがしてる。ファシリティーを維持するために。「今」は顔を捨てている。もしかしてリーマン線とは「今」のことなのか?今は存在するのか。確かに存在してる気がするが、少し前後に揺れている気がする。今といって時を止めれるわけではない。必要なのは「顔のある「みんな」」なのだ。俺が誰かの名前を叫ぶとき。それは「全て」のことを言っている気がする。全てを誰かに当て付けて。一文字二音の誰かにまるいものを与え放って。頭もひょっこり出てはいけず。感覚として頭も残してはいけない。そんな勝手を。その名前の柔らかさにあるようにする。戦ってはいけないのか?一番柔らかくその名前を呼ぶ誰かでありたい。そんな気はしてる。それをすべての名前に?アーノルドだったらアーノルドを。まるめこむんじゃないよ?ほんとにそんな世界なんてあったの?嫌いになったの?それはつまり「生きるテーマ」なのだ。