どうすれば世間との関係を断てるか。

まず変わるのが「望月論文」の見え方である。いま「両目が均等に見えているもの」をもし世間からラインアウトしたら「塩水に浸かったしょっぱいもの」にしか感じれなくなる。だが。これもいいのではないか。同じ論文がこれほどまでに違ってみえるということは。つまり「世間は塩水に浸かっている」望月にとって数学の論文を書くのは「苦もない」であろう。私にとって最近「粒子は演算子」に思えて仕方ない。「粒子の語尾」には「on」が付くが、これが接続詞の「ロシア」だったら「ロシアの」「ロシアン」のように作用するものに考えられる。つまり「そこにあってずっと見つめてられるもの」「フォーカスするもの」ではないのだ。「国」もこのように眺めれば「メキシカン」「何に作用する」「演算子」であるのだ。「あっちにやったこっちにやった」「止まっているものを」ではなく。初めから演算子であるのだ。演算子として取り扱えばよい。取り分け「自国」を「止まっているもの」として見やすい。