人はみなプログラマー。「プログラマー」だと思ったらちがう。

0km/sの場で考えたものが100km/sでも30km/sでもどの場でも通用するのか。「速度が移動している」ことに本質がある。とするなら解析することこそどうなのか。必要性があるのか。ないのかが本質なのではないか。「必要性」は常に変化している。「まったくない」ものを「あるていど注視して見る」あるいは「少ししかない」ものを「まったく見るのをやめる」「リアルの世界」と「注視して流れ込む」ことこそどうなのか。30km/sの世界は完成するのか。入り込むことこそ本質なのか。量子電磁気学とするなら。それこそ「すべての速度場で通用するものではない」新しいプログラムを一から組むことが必要なのか。まるでプログラムが薬品であるかのように。ある一定のコマ式変形は存在する。それを考えたら数学も薬品のように作用している。なにかの害悪がこの世からなくなるのかもしれない。まるで「速度場の移動が通用しないもの」みたいに。10km/sの速度場で君は飛び立てる。そのときその焦点に君はいない。100km/sと6km/sと不本意じゃないけど28km/sぐらいの速度場で。「いない」みたいに息を張っている。