「見られたい」という気持ちにも危険性が孕んでいる。

「見られたい」という気持ちにも危険性が孕んでいる。「万人に」といって岡のものから山のものまで万人に見られたいというわけじゃないし、「万人が万人」発信者が望んだような「見方」をしてくれるとは限らないのだ。むしろ逆だ。誰もが「自分の利益になるように」発信されたものを見るわけだし、そのような「一見見えない空気」の中で発信した方も本来求めていたようなものとは受け取られ方との相互作用が変わっていく。このような世界は本来あるべきような「生命を維持したい」欲求を叶えるものではなく多分にも「受け取った者」の指向が「望むよりも多く」入ったものであるし、そのような収束値を取るように最終的には収まっていく。重要なのはこういった作用をそのものわかっていることであるし、単純に「万人」といってもそれはグラデーションのかかったものである。技術者もいれば文系の者もいるだろう。曲がりなりにも私としてはこういった多少文系分野の人との作用をも併せ持つような、それでいて新しいみずからの数学分野をこの作用を踏まえつつ切り拓いていけるような人物の育成に指向されたもので、私とまわりの世界を豊かにしていきたいと思っている。代数的組み合わせ論という非常に小さな数学から入っていくのが、新たな数学に興味をもってほしい人へのヒントになるのではないかと考えている。「バカな人にはバカでいてほしい」というのがロシアや中国のトップの考えであるが、世界がそうであるように身の回りの上層部にも程度や数は減ってはいるが、こういう輩がいるものである。単純に「わからない」とされている数学の話をしてもこうゆう輩に支配された最終的な局面を打開していくのは難しいだろう。ある程度興味をもってもらってすぐに直感的にもわかって明日からいますぐにでも明るい前向きな気持ちになって身の回りのことから変えていけるようなコンテンツを提供していきたいものである。