弁論のテーマ

弁論においてテーマを立証するときに、一方は「この二つには差異がある」と主張するのだが、相手方は「この二つには差異はない」と主張するのである。無論事実においてあるのは『事件が起こったということ』であるが、現在的な見方をしてそれを眺めた(解釈した)ときに、それには差異があると、差異がないとで事実をひっくり返しっこするわけである。差異があるが、ある程度差異のないものに弁論として差異を拡大させる、ということはエネルギーを要するものであるし、相手方としてはそれが差異のないものであると事実を確認できないほどにくっつけようとするのである。

この際に、〈語彙を強める〉ことによって事実を引き剥がそうとすれば、それだけ骨の折れることになると思うし、裁判官の印象としては(語彙を強めて話している)として印象としては『ゲンナリしたもの』となってしまうであろう。つまり語彙を強めているほど現実としては差異のないものだと認識されがちである。

それによって事実としては後世(現在)にどれほど影響があったか。事実としてまとめられるものであれば一貫として相手方には落ち度があったのか。(罪を犯すものは適法としてニッチな隙間がそこにあったのだと主張するものである。)大きな組み立てをするのであれば、一つ一つの事実がまず検証されており、結論として大きな枠組みが実証された、というものでなければならない。それだけ相手方も弁論において難しい組み立てをしてくるはずだ。