弁護士会について

昨日から「弁護士会」というものに疑問を感じている。「弁護士全体の意見を反映する」会なのだろうか。「弁護士会としてはこう感じている。」みたいな。「裁判官会」や「検察官会」がないのは、あるのかないのかわからないが、あったらあんまりよくないかもしれない、というのはわかる。それでもなんとなく裁判官同士の同期の飲み会とかで「俺昔間違っちゃったんだよね。」とポツリと呟く光景が浮かぶ。もちろんそんなことはないのかもしれない。ただ弁護士が会を開くということは「この法律はこういう解釈でいいよね?」と何人かが意見を合わせているようなイメージを抱く。果たしてそんなもんでいいのか。100人いたら100人分の解釈があったほうがいいのではないか。そのほうが人間の多様性を守れるのではないか。いざ裁判になってみて「○○法○○○条第○項の規程により…」検事「いや。それそんな法律じゃないよ!」「いや。僕はそう思いません。」みたいなほうがよっぽど人を守れるんじゃないだろうか。談合は結局いじめを招くのだ。引いては子供たちにも談合といじめを招いている。そう感じた。曲がりなりにも法曹ではないか。弁護士会に入っていない弁護士もいるかもしれない。ちょっと変わった金の取り方をしていてさしもいい仕事ができなかったかもしれない。むしろ全然赤字かもしれない。だがそれでいいではないか。自分の意見を持ってないのは弁護士として致命的だ。