そのくらいの繊細さは必要だ。目で追えばそこに正しい選択が浮かぶ。いくつものケースと。400項目ぐらいある処理項目と。その前後における事件の広がり。どんな事件が起こったのか。どのような経過を辿り、あるいはドラマチックに変化したか。事件や中断はいくらでも起こる。だからこそ登記が必要になる。そういう場面なのだ。第三者や第四者、複雑に権利や義務が変わるがわる入り乱れ、それでも人の財産権は混乱しない。世界中でだ。いや、これは先進国だからこそ司法権が行き届いているのか。だったら尚のこと処理と経験を積まねばならない。財産権や生存権を守るために。われわれがやらねばならぬことはケースを積むことだ。例外は検索すれば必ずある。そうやって2,000年も産業革命以降も300年もやってきた。戦争も起こった。領土の争いも起こった。そのときどうやって国際社会は解決してきたか。われわれは履歴を残し、前後関係を明瞭にしてきたのだ。人の権利や義務の先後関係を。願わくばわれわれの検索や迅速正確な手続きが足りないが故の争いが起こらないことを望む。またその処理の更正も平等に行われることを望む。全ては平等権のためでもある。争いが起これば平等は踏み躙られる様相を生む。その初期や最盛期、終期にあっても平等にいち早く終息することを躊躇ってはいけない。