手の一体と化したものたちに遊び場を提供する。

おれの野球は嗾けられてやっているのか。「話になんねえ」と手の一体と化したものたちが打ってくる。やるべきことは耳と手の間。いま俺が打った気がした。バントのような鈍い音だったかもしれない。汗と涙の味がした。誰かにホームでスチールでタックルする。アウトだったかもしれない。白ヘルはつけてなかったかもしれない。壁に向かって投げ込むような。それを女子はできるだろうか。男ならばあっさりとスポ公にいってた。俺の目線が。くさってもおせっかいを焼こうとしている。日に日に暮れるセカンド練習をベンチに座ってどんどん眺めようとしている。視界を振り解けない。それは俺も一緒だ。このものたちを始末するのに。手の一体と化したものたちに遊び場を提供する。こいつらは当然なんでもやる。話になんねえよ。どうだか。おれはサイドスローで投げてみた。渡過線で抱き合ったまま。それは。とりあえずサイドスローで投げてみよう。たまたま俺が魁身の父親だったからいけただけかもしれない。こうしてあるやりかたが敗れる。しかしながら次はアンダースローで。最終的にスリークオーターかもしれない。ふむ。そうだ。オーバースローはどうかといえば。ふむ。バスケのフェイクみたいに渡過線で抱き合ったままを避ける。このようにしてわりかしぽんちゃんは守られるものだし。バスケもついでにうまくなる。最終的に「キモさに便乗していることがどうか」という話になる。これは私的には「No」女子は「余地がある」といったとこなのだろう。だっておれが先導切って開けた穴なんだぜ?まず高専もそうだろう。「嗾けありき」あれは。棒のほう握ってんのか。さも。「仲良くしましょう。」握手。みたいに。握手もまあ。棒のほう握ってるっちゃあ握ってるんだろうな。小林化学の冴え渡るところだ。棒のほう握るちからでどこまでもいけるきがする。下に付かない。ということだろうか。情けももはや。サッカーでもするか。あ。アレクサンドロフ空間と思ってしまう部分がある。どうやったらうまくなるのかわからない。一切動かないほうがいい気もする。おれはコート全体を眺められていない。だいたい広すぎる。それを考えればゴルフもコート全体を眺められていない。ゴルフのコート全体を眺めると野球のスイングもうまくなる気がする。そもそも打つ目的もよくわかっていない。まさか野球で2打ということはあるまい?まあでも片手打ちをしてみたいきもする。バットでテニスもおもしろい。自分の間が取れるようになったら人と対戦したくなる。おもしろおかしいことだろう。私の間の抜く作業は。つまり人の。呼吸のように。見放題なのだとわかる。それをやめないだろう。世に抜きどころがあるかぎり。吉沢亮もしかりであるし。それにちかいものそれにちかいものもしかりである。いっこうに失われる気配はない。電場とはそういうものであるかもしれない。掘って掘って掘りまくる。やめどころがぜんぜんわからない。